クイズダービー
制作
TBS

放送時期

放送期間 1976.1.3〜1992.12.19
2000.12.30
放送時間 毎週土曜19:30〜20:00
19:30〜20:00

出演者

司会

初代 大橋巨泉
2代目 徳光和夫

出題

小池達子
渡辺真理
アナウンサー

解答者

1枠 鈴木武樹
畑正憲
黒鉄ヒロシ
篠沢秀夫
北野大
植草克秀
2枠 五月みどり
うつみ宮土理
南田洋子
長山藍子
宮崎美子(淑子)
斉藤ゆう子
斎藤慶子
山崎浩子
井森美幸
3枠 黒鉄ヒロシ
はらたいら
秋山豊寛
4枠
竹下景子

 

5枠

 

ガッツ石松

ゲスト解答者
6枠 ゲスト解答者

廃止

 持ち点3000点を解答者の誰が正解するかを一般の出場者(2人1組計3チーム)が予想する、つまり競馬形式をとりいれたロート製薬提供の視聴者参加番組。この番組にはカナダで当時放送されていた『セレビリティー・ステークス』という番組のVTRを巨泉さんが持って帰ってきて、大橋巨泉、当時TBSのプロデューサー居作正果、当時放送作家の景山民夫の3氏で何十回もシュミレーションを繰り返し、日本で受けるようにしたものが『クイズダービー』です。オリジナルとはかなり違うモノだそうです。
番組の流れは倍率(オッズ)により点数を獲得。最高賞金は10万円。クイズの出題は8問(とんち問題、3択問題などがありました)。倍率(オッズ)を決めるのは司会者でした。
初期は倍率表示の下に◎・○・△・×が表示していた。〔放送開始頃、巨泉さんとアシスタント、そして藤村俊二さん・ハナ肇さん(途中でハナ肇さんからゲストへ)の3人で解答者の本命対抗注意を決めてオッズが表示される形式でした。当時の出走枠は6枠。解答者が全員不正解の場合は出場者の掛け金が返金されるルールがありました。最終レースの8R(8問)目はオッズが2倍になり、最終的に10万点突破が目標でした。10万点突破チームには、紙吹雪と帽子のプレゼント。10万円以上獲得の場合越えた分をTBSカンガルー募金へ寄付されるというルール。10万点満たなかったチームでも最終持ち点の金額を持ち帰ることができた。なお、解答者が全員不正解の場合は掛け点が全額戻ってくる。大橋巨泉さんがセミリタイア宣言にしたことにより司会を降板(同じ時期に司会をしていた『世界まるごとHOWマッチ』は終了)。2代目司会者は日本テレビを退社したばかりの徳光和夫さんとなりました。しかし巨泉さんは「ギミア・ぶれいく」「世界まるごと2001年」同様、スーパーバイザーとして番組に残っていました。クイズダービー最終回は徳光さんが5枠解答者として登場し、巨泉さんが司会をして自ら幕を降ろしました。

2000年12月30日TBS年越し番組「SAMBATV」内の「20世紀名物」でクイズダービーが復活しました。司会は大橋巨泉。解答者は1枠から篠沢秀夫、久本雅美、はらたいら、竹下景子、石坂浩二。予想側はTBSの人気番組出演者ブロードキャスターチーム(福留功男・三雲孝江)渡る世間は鬼ばかりチーム(えなりかずき・長山藍子)さんまのSUPERからくりTVチーム(中村玉緒・セインカミュ)で行なわれました。

名台詞
「はらたいらさんに3000点」、「3択の女王」という言葉がうまれた。オープニングは巨泉さんの顔アップで「巨泉のクイズダービー」という一言で番組が始まった。2代目徳光さんは「徳さんのクイズダービー」といってました。その他の名台詞は巨泉さんの「倍率ドン!さらに倍」「せ〜のドン!」徳光さんは「倍率ドン!さらに倍してドン」などがありました。

エピソード
TBSの番組改編のお祭り番組『クイズまるごと大集合』決勝のクイズダービー(司会はビートたけしさん)で予備校ブギチーム(織田裕二・的場浩司)が5レース目に勝負に出てはらたいらさんに全額を賭けたところ、はらたいらさんは不正解となり、0点に。そこで巨泉さんが登場して「0点なった場合はそこでおしまい」とのことで最終レースまで大人しく座っていました。
ガッツ石松さんがゲスト解答者として来場したときの「はらたいらさんに○○点」は「篠沢教授に○○点」と答えた事を記憶しています。また16年ほど前に「100万円クイズ・ハンター」に出場したときに「豚に真珠」を、「豚にも衣装」と誤答=i多分、「孫にも衣装」と勘違いしたらしい)。

また大橋巨泉さんのエッセイ「巨泉」にクイズダービーのエピソードが載っています。

音楽

シンキングタイムの曲は「草競馬」というタイトルの曲です。

演出 山口守広
音楽 たかしまあきひこ
制作 副島恒次
美術 和田一郎

スーパーバイザー 大橋巨泉        

グッズ

ボードゲーム 本 トランプ

調査研究員:S.N・hiroshi・GO・Y