ジョギングのすすめ  自由学舎主宰 下田秀明

 そもそも人間は動くことの大好きな生き物です。身体を動かし汗をかくから、その分食べ物も飲むものもおいしくなります。身体を動かすことの大切さを誰もが分かっているはずなのに、なぜ、多くの人が運動不足と言われる状態で、心身のバランスを欠き、さまざまな病へ突入していくのでしょうか。

  適度の運動と身体と心のストレッチを心掛け、病を減らすことができれば、国全体での医療費支出の削減は莫大な額に達するはず。消費税その他の増税に頼らずとも、国の財政事情は好転すること間違いありません。健康のうちに一生を全うできる人が、また、家族や隣人のため社会や地球のために、役に立つ活動を一生続けられる人が増えるならば、国の危機を救うのみならず、平和で幸せを感じることの出来る、まぶしいほどの明るい社会も見えてくるはずです。

  学校教育の中の体育や部活では、スポーツというものに競技としての性格がどうしても出てきます。より強く、より速く、そして勝つことがその目標にありますから、『心身の健康を育むためのスポーツ』とはいろいろな面で違ったものになってきてしまいます。

  走ることは運動の基本です。特にジョギングはゆっくりと自分のペースで息苦しさを感じないくらいのペースを保ったまま長時間走るスポーツです。ですから季節の風を感じながら身体を動かし汗を流すことを楽しめる、心身ともに非常に心地よい活動です。

  この楽しいスポーツが、中学や高校の部活に取り入れられないのは何故??と思っていた矢先、ありました!!!東京都江東区立第2砂町中学校。教諭弘岡篤さんが、今年の春『ジョギング部』を発足させていました。"健康への関心も高くなってきた現代社会において、理論的にはこんな部活動もあり、とは思いつつ、「果たして生徒に受け入れられるだろうか」との不安な日々が続く中、16名の部員が集まり、正直本当に嬉しかった。部員の中にはあんまり運動が得意ではない生徒もいますが、毎回欠かさず参加し、楽しそうに走っています。「マイペースでよい」「競争しなくてよい」「おしゃべりを楽しみながら走ってもよい」「きつくなったら歩いてもよい」こういうことは今までの運動部の指導ではタブー視されてきたことでしょう。(中略)ジョギングは心身の健康のために大変有益な運動であることは明らかです。しかも大変楽しい活動であることは、各地の市民ランニング大会の盛況ぶりを見ればわかります。このような活動が学校現場にももっと取り入れられていいはずです" 
                (RUNNERS 9月号 ランナーズオピニオンより抄出)
 競技だけでない健康志向の部活がこうして広がっていくことを願わずにはいられません。

   「NAHAへの道」でも取上げましたが、跡見順子さんは、2000年12月の朝日新聞論壇で
  "運動する子どもが減っている。………人間が生きている実体「からだ」の視点が見えない。生きている実感が希薄である。………運動することによって、ヒトは身体の快適さ、面白さ、心の切り替えなどを身をもって感じ取ることができる。自分で歩いたり走ったりした道や町はなかなか忘れない。そういったことの重要性を最近、ますます切実に思う。………脳は、「からだ」の環境との相互作用によりはぐくまれる。「からだ」を介した実体験は、計り知れない意味をもたらす。それによって、さまざまな問題を有機的につなげる主体的な概念が形成できるのではないか、……" と語っています。
  その通りですね。山登りで身体はヘロヘロになるほど疲れている状態でも、脳みそは健在で、通り過ぎた風景や峠やポイントの名前など実に鮮明にそして驚くほど長期間に渡って記憶に残っているのです。

  ジョギングをする仲間と話し合ったことで共通の認識をもったことがあります。それは、登山などでも同様に感じることのできる感覚ですが、ある程度の距離を走って、または山を登りつづけていて、疲労がたまり、自分の身体が思うように動かなくなってくると、身体と心が分かれてくるのです。そして心と身体が会話を始めます。「もう少し大丈夫だろ?」身体は、「もう疲れたよ。いい加減にしてくれよ」「でも、あとちょいがんばればゴール見えてくるから、なんとかしてよ」「しようがないなあ、ひざ上の筋肉が痛がってるんでちょいペースダウンしてよ」というような具合です。この感覚が実に楽しいのです。そういうやりとりから、まさしく自分の身体と心を実感できるのです。ここに他人との競争はもはや存在しません。自分の心と身体の掛け合いで手一杯なのです。疲れた身体をひっぱって、ゴールを迎えた時、山の頂上を制した時の喜びは幸せそのものの実感と言えましょう。僕の場合、大好きなビールが100万倍ものおいしさとなって、まさにごほうびのひと時を味わうことになるのです。

  『NAHAマラソンを走る』と宣言したら、琴線に触れ何かを感じた生徒たちや後輩たちが「僕も走る」と言って集まり始めました。そしてその数はどんどん増えていきます。爽快な風を受けながら毎週走っている鶴見川河川敷が、いつの日かジョギングの人たちであふれている光景はちょっと異様かもしれません。が、そのかわりに心と身体のバランスを取り戻し、脳みそと同じレベルで自分の「からだ」を実感できるようになれば、(多くの病が減少し、その結果、病院や薬屋さんに閑古鳥が鳴きはじめるかもしれませんが、)頭でっかち現社会からの脱皮が始まるのかもしれません。テロや戦争のない、本当に平和な世界への糸口がつかめるのかもしれません。有明海に住んでいるムツゴロウたちも私たちの犯したたくさんの過ちを許して、ほほ笑みを送り返してくれるかもしれません。

  さあ、みんな、いっぱい歩こ、そして、ジョギングしよ。自分の「からだ」感じよう。


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