子どもたちの居場所考  自由学舎主宰 下田秀明


 『道草』、僕は今、道草を食いながら人生を歩んできた、そんな気がしてならない。生まれてから今まで、保育園から始まって小中高大学、そして仕事場、全て歩いて数分以内の所に寝場所があり、他の知らないもの、新しいものと出会うためには道草を食うしかなかったのだ。「たまにはまっすぐ帰ってきなさい」と叱られることもあっただろうが、全く意に介さず道草三昧に耽っていた、と思う。「あ、つぼみが膨らんできた」「この道どこに続いているんだろう」「おばちゃん家のバク(犬)がいない」…季節の移り変わり、ちょっとした冒険心、ものごとを観察する探求心、発見する楽しみなど、机上では学べないたくさんのことを経験、体感し、学んだような気がする。しかし、子どもを狙った犯罪が目につくようになってきた今日この頃、道草は「食えない」ものとなってきてしまったようだ。子どもたちが安心して道草を食うことも出来ない、そんな哀しい社会を私たちは作り出してしまっている。
 日本はかって、世界有数の『子どもの楽園』であった。モース著【日本その日その日】には、「私は日本が子どもの天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子ども達は朝から晩まで幸福であるらしい」とあるが、日本を旅した多くの外国人たちは、日本の子どもたちが地域社会の中でどんなに大切にされているかを、様々な文献の中に述べている。その幸せな子どもたちの主たる遊び場や運動場は街中の往来であった。道であった。
 そして現在、子どもたちの遊び場だった道は自動車の走る危険な場所と化し、その遊び場や隠れ処は少なくなり、安心して遊び学べる場所は、自然の中にはなくなった。絶滅寸前の動物たちが森の奥へ奥へと追い立てられるように、人間の子どもも部屋の隅へ隅へと追い立てられていく。
 私たちには、子どもたちが朗らかに笑い、安心して遊び、学び、自信を持って自立し社会に羽ばたいていけるような環境を作る責任がある。その場所を準備し整えていく義務がある。

 

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