イマジン  自由学舎主宰 下田秀明


  もしジョン・レノンが生きていれば今年70歳、亡くなって30年の年月が流
 れた。
 ビートルズの中心メンバーとして活躍、オノ・ヨーコと出会い、ビートルズ解
 散。その後ソロとして活動を始め、1971年、名曲『イマジン』が生まれた。

  僕が中学生のとき、ラジオからビートルズが流れる。感動で鳥肌が立ち、髪の
 毛も逆立った。すぐに仲間たちとバンドを組みビートルズを歌う。ジョンの口調
 をまね、同じように歌いたいと猛練習をした。縁あって神楽坂にあるブリティッ
 シュ・カウンシル(英国文化協会)でビートルズの演奏をしたことがある。多く
 の英国人たちに『リバプールに何年住んでいた?』と質問されるほど、ジョンの
 故郷の発音に似ていたようだ。そして、いつからかイマジンを歌うようになっ
 た。コンサートでは、最後にイマジンを歌おうと決めた。以来、イマジンを歌う
 ことが、僕の大切なテーマになっていった。

  2001年9月11日、ニューヨークで同時多発テロが起きる。旅客機の突入
 で世界貿易センタービル二棟が崩落する。一瞬何が起こっているのか、アニメ映
 画でも見ているのか。いや、それは現実に起きているのだった。後になって、あ
 のビルの中に自由学舎の教え子がいて、亡くなっていたことを知る。ショックの
 あまりピアノに向ってイマジンを弾く。イマジンを読む。日本語にしよう。一所
 懸命に和訳した。

  考えてごらん 天国なんてないんだと
  そう思ってみれば簡単なこと
  この地の下に地獄なんてないし
  この地の上にはただ空があるだけ
  想ってごらん みんなが
  今日のために生きている‥‥‥

  考えてごらん 国の境なんてないんだと
  そんなに難しいことじゃない
  そのために殺しあったり
  死んだりする理由なんてないし
  宗教の違いも殺し合いの
  理由になんかならない
  想ってごらん 世界中のみんなが
  平和に暮らしている…………

 *僕が夢見ているだけだと君は思うかも知れない
  だけど こう思うのは僕ひとりだけじゃない
  いつの日かきみも一緒になってくれるかな
  そしたらこの地球はひとつになれる

  考えてごらん 財産なんてないんだと
  君にできるだろうか、ちょっと心配だけど
  そしたら欲張る必要もなくなるし飢えることもない
  人はみんな兄弟だと思えばできるはず
  想像してごらん この世界をみんなが
  仲良く分かち合い 譲り合いながら暮らしている……‥…

 *僕が夢見ているだけだと君は思うかも知れない
  だけど こう思うのは僕ひとりだけじゃない
  いつの日かきみも一緒になってくれるかな
  そしたらこの地球はひとつになって生きていける

 30余年前、教え子の柳生真吾・宗助兄弟は父母に連れられて、八ヶ岳南麓に
 通い始めた。家族は、荒れ果てた林の針葉樹を切り、株を抜き、昔そこにあった
 であろう樹木を植える。途方もなく続く野良作業とともに、そこは美しく清らか
 な森に生まれ変わった。『八ヶ岳倶楽部』の看板が掲げられ、一般の人も自由に
 散策のできる憩いの森となる。この森で、真吾くんプロデュースのもと、20年
 間毎年欠かさず僕はイマジンを歌う。この夏は宗助くんの長男がイマジンの和訳
 を朗読してくれた。鳥のように地球を眺め、世界の平和を想い、みんなの幸せを
 願う、祈りのような時間を分かち合うことができた。

                    
     

  真吾くんは、ジョン・レノンが作った最後のレコード『ダブル・ファンタ
 ジー』のそのタイトル名が、バミューダ植物園に咲く八重咲きのフリージアの一
 品種であることを突きとめた。良い音楽を聴けばみんなが喜び、花を見て怒る人
 はいない。音楽と花が結びついた身震いするような感動をみんなと分かち合いた
 いと、ファンタジーの花探しを始めた。その運動は大きく広がり、今いくつかの
 小学校で子供たちがフリージアの球根を植えている。この花が夢のシンボルとな
 り、未来に向って一歩を踏み出そうとしているみんなに勇気を与えるに違いな
 い。ジョンが見たファンタジーはまだ見つかっていないが、それによく似たフ
 リージアの球根は、真吾くんや周りのみんなの努力で世界中に広がっている。そ
 して来年の春にはあのバミューダ植物園がこのフリージアの花でいっぱいになる
 という。ジョンを源流とした夢と希望と平和を祈る川が、今僕たちや子供たちの
 心に脈々と流れているのだ。

  僕もまた、フリージアの球根をいくつか、自宅の桂の木の下に植えよう。

 

 

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