私の趣味の音楽のページ

  
■ 「Old Movie」
 ☆ 1950年代は、映画産業の全盛期でもありました。

 私のモダンジャズとの出会いは、
50年代フランスの、ヌーベルバーグ映画の、バックで演奏されていた一連の音楽からです。
 
■ 「The Man With The Golden Arm」 : 1956

 正確には、アメリカ映画:「黄金の腕」 が先ですが、
当時、これがモダンジャズだという認識はありませんでした。
音楽担当は、シェリーマンだったらしく、パンチの効いたテーマミュージックと、
ポスターのイラストが粋でしたが、それより、「黄金の腕」が忘れられないのは、
シナトラをめぐる二人の女性、エレノア・パーカーとキム・ノヴァクが、印象的だったからです。

 ハリウッド映画は、ともかく美女が沢山登場しましすが、
この映画の二人はどちらも素敵でした。
役柄は、エレノアが脇役でしたが、最後のシーンは、シナトラとキムが結ばれる喜びより、
エレノアの女性らしい想いと、可愛そうな結末の方が印象に残るという、私を複雑な気持ちにさせた、
珍しい映画だったのです。
 
  
☆ 田舎に二つの洋画館があり、
片方は20世紀フォックス・パラマウント・MGMなどをメインにした、アメリカ映画専門で、
もう片方は家の近くにあり、フランス・イタリアなどの映画がメインでした。
映画が最高の楽しみの時代でしたから、ヨーロッパ映画も、とりあえずほとんど観ました。
 イタリア映画のほうが、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジーダ、ロッサナ・ポデスタなど、
セクシーな女優が多く、映画としても陽気な印象をもっています。
 ジュリエッタ・マシーナとアンソニー・クインの
「道」などは、子供心に、辛い思いで観ましたが、
全体としては、それ程暗いイメージはもっていません。

 ソフィア・ローレンは、いち早くハリウッド映画で、活躍しました。
「島の女」: アラン・ラッドと、海の黄金探し。海中が、とても神秘的だったことや、アラン・ラッドが、
「シェーン」では気がつかなかったけれど、意外と小男だったことを知りました。
 ソフィア・ローレンの、まぶしいほどのボディや、
「いるかに乗った少年」 という歌も素朴で、印象的でした。
「失われたものの伝説」: 今度は、ジョン・ウエインと、砂漠の宝捜し。暑苦しいラブ・ロマンス映画でした。
そして、
「誇りと情熱」: スペインでのドンパチ。内容は、あまり印象が無いのですが、
ケーリー・グラント、フランク・シナトラも出演する豪華なもので、ソフィア・ローレンの、
この頃の活躍は見事でした。どの映画でも、胸のあたりが、大きく開いているのも見事でした。
 
■ 「空中ブランコ」 : 1956

ジーナ・ロロブリジーダの出演した「空中ブランコ」
彼女の、かなり切れ上がったボディ・スーツ姿は、確かに魅惑的でしたが、
実際にサーカスのキャリアがあるということで、バート・ランカスターが
話題になりました。彼は、大好きな俳優ですが、この映画は、チョッと異質な感じで、
トニー・カーティスとの三角関係を、子供心に、ハラハラしながら観た憶えがあります。

 あの頃、田舎にも、木下サーカスがやって来て、円形の金網の中で走る
バイクなどに、文字どおり、ハラハラ・ドキドキしたことも、懐かしく想い出されます。
  

☆ フランス映画ときたら、ともかく暗かった…。
もっとも白黒の映画が多く、その点でもアメリカ映画とちがっていましたが、
ジャンルも、やくざな映画・変な恋愛映画が多かったような気がします。
 ハッピー・エンドにならず、後味の悪い、つまらない映画が多かったというのが印象で、
音楽は、映画に埋もれてしまったというのが実感です。

・「恐怖の報酬」 「サレムの魔女」: 
イヴ・モンタンが、シャンソン歌手ということは知っていたのですが、映画もダメでした。
・「赤と黒」 「モンパルナスの灯」: 
悲恋ものにジェラール・フィリップはピッタリで、彼の、なよなよ感が嫌いでした。
・「現金に手を出すな」 「殺人鬼に罠をかけろ」: 
ジャン・ギャバン主演で、題材も良いのですが、暗い生活感をにじませていて、陰湿な感じ。
「現金に手を出すな」 の主題曲:
「グリスビーのブルース」 は有名です。

・「居酒屋」 「白夜」: 
暗いといって、マリア・シェルほど暗い感じの女優もいなかった。彼女はドイツ人ですが、
「縛り首の木」 でゲーリー・クーパーとも共演するのです。
西部劇も終りといった印象をもったものです。
・「勝手にしやがれ」: 
ヌーベル・バーグの典型映画。ジーン・セバーグの、可愛らしさだけが救いの、つまらない映画。
・「殺られる」: 
テーマ・ミュージックだけの映画。せいぜい思い出すのは、ロベール・オッセンの嫌らしい目つきと、鼻ぐらい。
・リノ・バンチュラが、骨っぽい俳優として印象がある程度で、
「太陽がいっぱい」 のアラン・ドロンも好きではないのですから、楽しい想い出もありません。

 現在、沢山観たはずのフランス映画の内容を、ほとんど憶えていません。
ハリウッド映画は、小学校時代のものでも、昨日のように鮮明なのに…。
フランス映画が嫌いだった証拠です。

☆ そして、フランス映画は、50年近く経った今でも、同じような雰囲気の映画が多いような気がします。
 私は、生活感のある映画が苦手です。
恐らく、フランス映画を好きな人々は、私の嫌いな、複雑な人間関係や、
心理描写みたいなところを、逆に芸術性があって良い、とか思っているのでしょう。

 事実、私の友人で、この類が大好きという奴がいますが、小さい頃、フランス映画や、
イタリア映画ばかり観ていて、自然に身近になったとか言っていました。
 彼は、ミッシェル・モルガン、ダニエル・ダリュー、ジャンヌ・モロー、ダニー・ロバン、
ミレーヌ・ドモンジョ、…、みんな良かったな〜。などと、とんでもない事を言っていました。
個人の好みの問題で、これだけは仕方ありません。
 
「フレンチ・カンカン」 「ヘッドライト」 などでの、フランソワーズ・アルヌールが、
美しいことでは、意見が合いましたが…。
本当は、マリナ・ヴラディもチョッと可愛かったのです。
 

■ 「Monmartre / Can Can」 : Paris


半世紀過ぎた今でも歌声・メロディが、
昨日の事のように想いだせる、ポルトガル民俗音楽ファドの
「暗いはしけ」
フランスワーズ・アルヌール主演の映画:1954年・
「過去をもつ愛情」 の主題歌だったことを、最近、本屋で探し当て、
“ああ、そうだったんだ!と納得しました。
確か、フランス映画で聴いたはずだけど、映画名を忘れていたのです。
 
アメリア・ロドリゲスの哀愁に満ちた歌声は、鮮明に覚えていたのに…。
恐らく、映画が面白くなかった為、記憶が分散してしまったのです。
この歌は、いつかCDで聴こうと思っています。


 映画の暗さを助長するような、モダンジャズで印象的だったのは、「死刑台のエレベーター」 でした。
 メリハリが無く、ただ陰湿で、つまらない映画だった事をおぼえています。
侘しげなトランペットが、いろんなシーンで流れていましたが、とりたてて素晴らしいとは思いませんでした。
 後に、好きになった、モダン・ジャズですが、救いの無い、ブルージーなだけの演奏は、
今でも好きになれません。

 その他にも、
「大運河:MJQ」 「殺られる:ジャズ・メッセンジャーズ」 「彼奴を殺せ:ジューク・ジョーダン」
 「危険な関係:ジャズ・メッセンジャーズ」 「墓につばをかけろ」
 と、
モダンジャズが使われた映画がいくつもありました。

 ヌーベルバーグという言葉が流行り、それらの映画にマッチした新しい手法として、
モダンジャズを使った事は理解できましたが、一連の映画そのものに魅力が無く、
同時にモダンジャズは、それまでに聴いていた音楽とは、かなり印象の違うものだということは理解できました。

 唯一、
「殺られる」 のジャズ・メッセンジャーズは、なかなかかっこよく、
今でも、テーマ音楽を、口ずさむ事があるほどです。
 誰が買ったのか、家で聴いた、M.J.Qの
「朝日のように爽やかに」 等、
なんとつまらない音楽だろうと思っていたものです。
ただ、マイルス・デイヴィスのレコードの中に 
「ドキシー」 という曲があり、
アーシーなピアノに、いたく感動した覚えがあります。
 それ以外は記憶に無く、かなり後年になって、そのアルバム名を知ることになりました。

 あのような、暗いヌーベル・バーグ映画や、モダン・ジャズを、“健全な少年” が
好きになる事の方が異常に違いない。と、過去を振り返り、自分の感性を、今、正当化しています。

 映画のサントラ盤のCDを、近年、何枚も購入しましたが、がっかりする事がほとんどです。
心に残る曲は、ほとんどの場合、1曲ぐらいしかないものです。
シーンごとの演奏なんて、心動かされる事も無く、いらないのです。
過去を懐かしむ事で、時には、無駄な出費もあります。

 

■ 「Horace Silver & Art Blakey」


 日本のモダンジャズの大ブレークのきっかけは、
アート・ブレーキー&ジャズ・メッセンジャーズ

来日からだった思いますが、その頃は、スポーツ漬けの毎日で、音楽はカントリーや、
ディキシーを好んで聴いていました。そのジャンルでの外国人アーティストのライブは観ましたが、
モダンジャズ・アーティストの来日公演など全く対象外でした。

 それでも、当時どこかで聴いた、 ソニー・ロリンズ:
「Moritat」  バド・パウエル:「Cleopatra's Dream」
 ジャズ・メッセンジャーズ:
「Mornin'」  ソニー・クラーク:「Cool Struttin'」  ホレス・シルバー:「Doodlin'」 
 マイルス・デイヴィス:
「'Round Midnight」  キャノンボール・アダレイ(ナット・アダレイ):「Work Song」 
 カーティス・フラー:
「Five Spot After Dark」  デイブ・ブルーベック:「Take Five」 などは、
記憶に残っていて、現在、モダン・ジャズの定番と言われるのもうなずけます。
 特に、「Mornin'」 「Work Song」 は、ジャズとは全く縁遠いと思われる人達でも、
口ずさんでいたくらいですから、ポピュラー・ミュージック化していた事は間違いありません。

 
あれほど嫌いな、フランス映画でしたが、マイナーなモダンジャズを、ポピュラー化させた功績は、
大きいのかもしれません。
モダン・ジャズを意識して聴いたことが無い私でも、結果的に、沢山の曲に接していたのですから…。


 

■ 「Ray Charles」


 同じ時期、すべての音楽の中で、最も強烈なインパクトを私に与えたのは、
レイ・チャールズ:
「What'd I Say」 でした。
ラテン・ブルースといった感じの曲で、レイ・チャールズの斬新で、
これでもかと繰り返されるリフ。バック・コーラス:レイ・レッツとの妙に色っぽい、
コール&レスポンス。今まで出会ったことのない音楽に、ただただ興奮した事を想いだします。
 このレコードではツイスト曲を陽気なファンキー、ブルース曲を悲しいファンキーという言葉で表現していました。

 苦労して買ったレコードが、何度も聴かないうちになぜか湾曲して、この曲だけが音飛びしてしまい、
他のブルース、R&Bの曲しか聴けなくなった、悔しい想い出の曲でもあるのです。


 レイ・チャールズは、マルチ・タレントとして、私のお気に入りのピアニスト・歌手ですが、
 「Black Jack」 「Come Back」 のようなハード・ブルース、 「A Fool For You」 でのゴスペル調、
 
「Swanee River Rock」 のロック調など、強烈なブルース・フィーリングを下地に、ジャズを感じさせるという、
全く独自の世界を創造した、貴重な存在です。 
 
「I've Got A Woman」 「Hallelujah I Love Her So」 「Lonely Avenue」 「The Right Time」 など、
従来のブルースや、ゴスペルを超えた、50年代のヒット・ナンバーのほうが、カントリー・ソングや、
ポピュラー・ソングを歌う、60年代以降の彼より、どちらかといえば気に入っています。

 とは言え、
「Georgia On My Mind」 「Unchain My Mind」 「I Can't Stop Loving You」 「Your Cheating Heart」 などの
ヒット曲が、嫌いなわけは無く、ポピュラー・ソングでも何でも、彼自身の音楽に変えてしまうスーパー・アーティストで、
私にとっては、中学時代の、プレスリーに匹敵する永遠のアイドルの一人です。

  ■ 「Ray Charles : LP」
 「What'd I Say」
 「The Right Time」 を、その後、CDで聴いているのは、いうまでもありません。
レイ・チャールズの、腹の底から絞り出る叫びと、見事なピアノ・プレイ、レイ・レッツの、
粋で色気たっぷりのバック・コーラス。今聴いても、少しの古さも感じさせない、魅力に満ちています。
 そして、これらを聴くたびに、大学生活〜彼女〜無限に開かれた未来〜…。
あの当時の自分と、様々な出来事が、曲とともに甘酸っぱくよみがえってきます。

▽ 「レイ・チャールズ カントリー&ウエスターンを歌う」:1962 というレコードまで持っているのですから、
相当好きだったことは、間違いありません。

 1959年、レイ・チャールズが、ソウル・ミュージック(当時はファンキー)を、高らかに歌い上げた同じ年に、
モダン・ジャズの世界も、キャノンボール・アダレイ: 
「The Cannonball Adderley Quintet In San Francisco」 
というソウルフルなアルバムが、脚光を浴びたのは、決して偶然ではないのでしょう。
モダン・ジャズの世界も、確実に変わっていくのです。

 個人的に、ハード・バップ以降のジャズには、魅力を感じないのですが、レイ・チャールズの、
現在までの活躍をみると、その息の長さは、驚異的といえます。

 ※ 現在でもカウント・ベーシー、ホレス・シルバーが大好きな私ですが、
レイ・チャールズを彼らと同一線上でとらえているのかも知れません。
力強さ・陽気さを秘めたブルース・フィーリング、絶妙な間と躍動感。
〜ジャンルに関係なく、私の音楽に求めるものは、昔から変わっていないようです。

 
■ 「Village Vanguard 」 : N.Y.


 モダンジャズを本格的に好きになったのは、
ずっと後になって、ひょんなことから〈ヴィレッジヴァンガード〉へ
行ったときからかもしれません。
 それ以前に、
ソニー・ロリンズのレコードを聞くことはあっても、
さしたる感慨も無かったのですが、
現場へ行ったことで、
〈ヴィレッジヴァンガードの夜〉 
全く違った音楽に聞こえ出したのですから…。
 ニューヨーク:人種差別下の黒人…、狭い階段を下りた 地下のバーの片隅にあるステージ。
モダン・ジャズがマイナーな、それでいて熱気に満ちていたあの50年代を、体験した思いがして、
その後身近な音楽になりました。
 
■ Sonny Rollins


☆ 少年時代、アメリカからの情報は、華やかなものばかりでしたから、
黒人の立場など、考える事もありませんでした。
 ルイ・アーム・ストロングや、ナット・キング・コールが、白人に人気のあった、
数少ないアーティストだったことは、今なら知っています。
インディアンが、皆悪者だったからこそ、ジョン・ウエインは、ヒーローでいられたわけで、
「駅馬車」 「リオ・グランデの砦」 「捜索者」  等など、理屈ぬきで楽しめたのです。

 60年代以降、西部劇、戦争映画が理屈っぽくて、つまらなくなってしまうのは、
人権問題と、無関係ではないでしょう。
ただ、モダン・ジャズも、この頃から、面白くなくなってしまうのです。何とも皮肉な話です。

        
 
 最近リバイバルで 「死刑台のエレベーター」 をやっていましたが、チョッと観ただけで、
やっぱりとチャンネルを変えました。ジャンヌモローは、昔見たときも嫌なおばさんという印象でしたし、
今見ても変わりませんでした。
 フランソワーズ・アルヌール:あの美形と、猫の目といわれた鋭い眼差しのチャーミングさ。
「殺られる」 のジャズ・メッセンジャーズの音楽。アメリア・ロドリゲスの 「暗いはしけ」 のファド。
 フランス映画から得た、数少ない財産です。
 
■ 「捜索者」:1956


☆ 子供の頃の映画の印象は、ほとんどの場合、
西部劇以外は、出演した女優が決め手だった事に気づきます。
当然ハリウッド映画の華やかさを好みましたし、その傾向は、
映画に娯楽性を求めるという点で、今でも変わっていません。

イングリッド・バーグマン:
「誰が為に鐘は鳴る」 「追想」、 
オードリー・ヘプバーン:
「ローマの休日」 「麗しのサブリナ」
エリザベス・テーラー:
「ジャイアンツ」 「陽のあたる場所」、 
デボラ・カー:
「めぐり逢い」 「王様と私」 「お茶と同情」
グレース・ケリー:
「上流社会」 「泥棒成金」、 
ジェニファー・ジョーンズ: 
「終着駅」 「慕情」
ヴィヴィアン・リー:
「欲望と言う名の電車」 「風と共に去りぬ」
マリリン・モンロー:
「七年目の浮気」 「帰らざる河」
ロンダ・フレミング:
「OK牧場の決闘」、等は、後にリバイバル上映され、何度も見ることになりました。

 「OK牧場の決闘」 は、西部劇ベスト5には入る面白い映画です。
 バート・ランカスターは、大好きな俳優で、帽子のツバを右手でつまみながら、やや右肩を下げ、
うつむき加減に早足で歩き去る仕草は、丁度、ジョン・ウェインが、右足を引きずるようにして
内股で歩く後姿と同様、彼のトレード・マークです。

■ 「OK牧場の決闘」:1957

 この映画は、フランキー・レーンの主題歌も相当ヒットしましたが、
私の一番お気に入りは、ロンダ・フレミングです。
あの頃雑誌で、ロンダ・フレミングの素敵な記事を読んだ事があります。

 《彼女の息子が、新聞配達をするというので、
“途中で投げ出さず、最後まで頑張りなさいと、励ましたそうです。厳しく突き放したようでいて、
実は毎朝、子供の後ろから気付かれないように、高級車を運転しながら、彼を見守っていた。

 そんな内容の記事でした。華やかなハリウッド女優でありながら、美しいだけでなく、
母親としても素晴らしい女性なんだと、痛く感動した憶えがあります。
  
☆ グレース・ケリーの
「裏窓」や、キム・ノヴァクの「めまい」を作った、ヒッチコック作品で、
最もショッキングな映画は、
「サイコ」です。当時、トニー・カーティスと夫婦だったと思うのですが、
人気絶頂の、ジャネット・リーが、映画が始まって、さあこれからだと思っていたら、
あっさり殺されてしまったのです。
 内容より、そのほうがショックで、信じられず、未だに釈然としないものがあります。
妹役の、ベラ・マイルズが可愛かったので許していますが…。
 
 後年、ロスのユニバーサル・スタジオを見学した時、あの不気味な建物が残っていて、
ぞっとしたものでした。
 ヒッチコックは、金髪好きだったそうですが、女優の趣味は最高です。
 
■ 「北北西に進路を取れ」:1959

私にとっての、彼の最高傑作は、ケーリー・グラント、
エヴァ・マリ・セイント主演の
「北北西に進路を取れ」です。
彼女は、あまり好きな女優でもないのですが、
ストーリーの面白さが、際立っていました。
 ケーリー・グラントの、おとぼけの演技も、次々起こるピンチを、
自然な展開に感じさせて好感がもてました。
ヒッチコックのラブ・サスペンスものは、どれも品があって、ハリウッド映画の、華麗な時代を代表しています。

 ヒッチコックではないのですが、
「めぐり逢い」という、ラブ・ストーリーは、デボラ・カーの、けなげな演技と美しさに、心奪われました。
同時に、ケーリー・グラントの、カッコよさに影響されて、彼の髪型を真似、
そのまま現在に至っているのですから、映画の影響は、計り知れないものがあります。
(但し、彼は右分け、私は男らしい?左分けの、7:3ですが…。)
  
 
※ 私の好きな、ハリウッド女優ベスト5 …難しいところです。役柄のイメージで随分違いますから。
でも、顔だちが好きな女優を、思いつくまま選ぶと、
1:キム・ノヴァク 2:ベラ・マイルズ 3:フェリシア・ファー 4:エレノア・パーカー 5:デボラ・カー 
といったところでしょうか。
 小学6年生の時の1番は、文句無しにジェニファー・ジョーンズでしたが。

☆ チョッと、変わったところで、20世紀フォックス映画の、タイトル画面と音楽が、
子供の頃から凄く好きでした。
さあ、始まるぞ〜、という期待が一気に高まる、名タイトル・ミュージックだと思っています。
 21世紀になってどうなるか心配だったのですが、相変わらずだったので、ほっとしています。
こんなところにも、アメリカ映画を観る、密かな楽しみがあります。 

 映画と共に、自分の成長の過程で、いろんなジャンルの音楽体験を持ったため、
今でもジャンルを気にせず、プレーヤーや、曲への想い入れを基準にして、楽しんでいます。

 
私は、音楽に関しては、かなり守備範囲は広い方ですが、どうしても、シャンソンだけはダメです。
「枯葉」も、マイルス・デイヴィスやウイントン・ケリーではよく聴きますが、
イヴ・モンタンで聴こうとは思いません。
 シドニー・ベシェのように、ほとんどフランスでプレーしたり、好きなアルバム
「アワマン・イン・パリ」で共演した、ケニー・クラークやバド・パウエルにしても、
パリへ行ってしまうように、ジャズメンにとっては、居心地が良いのでしょうが、フランス語が、
特に男のフランス語のジュブジュブ感が、私にはダメです。
…恐らく当時の、フランス映画の影響だと思います。

 
子供の頃、我が家にクラシック音楽のSP盤があり、親のいないときに、
面白がって聴いた覚えがあります。
今では、「禿山の一夜」 ぐらいしか想いだせませんが、クラシック音楽については
特別嫌いではありませんから、いつか興味を持つかもしれません。

 しかしシャンソンだけは、色々聴いた結果、2度と好きにはならないだろうと、断言できます。
当時ラジオなどで、好きな音楽に混じって、ジュリエット・グレコ、イヴ・モンタン、イヴェット・ジロー、
やや後でジルベール・ベコー、などフランス人や、芦野宏、高英夫、越路吹雪などの歌が、
否応なしに耳に入ってきました。
 「詩人の魂」 「パリの空の下」 「愛の賛歌」 など等、あのおおげさな歌い方、言葉の気味悪さ…、
映画の影響とも相まって、いつのまにか本当に嫌いになったものです。

 
■ 「雪の降る町を」 


 但し、高英夫の  「雪の降る町を」 というラジオ歌謡
だけには特別の想い出があります。
〜雪の夜、電柱に付いている裸電球のほのかな光に、
青白く浮かびあがる雪景色、静まりかえった家の前の道で、
一人、この歌を口ずさみながら、竹スキーでよく遊んだものです。
 当時の田舎では、夜の8時頃になると、人通りは全くありませんでしたから、
雪が降ったときなどは、その静寂感といったら正に、シーンと音が聞こえるようでした。            

  
  〜雪の降る町を 雪の降る町を
                  思い出だけが 通り過ぎて行く 雪の降る町を
                    遠い国から 落ちてくる
                      この思い出を この思い出を いつの日か包まん
                        あたたかき幸せの ほほえみ
〜  ♪ 

 今でも雪が降ると、田舎での、あの情景が浮かんできて、自然に口ずさんでしまいます。
いくつになっても変わらない“雪”の魅力と同時に、音楽がおよぼす、影響力・想像力に驚かされます。


   
※ 後年、ロンドン〜パリ〜ミラノを、旅行する機会がありました。行く前は、
パリだけは嫌だなと思っていたのですが、結果は、パリが一番気に入りました。
カフェ・テリアが沢山あって、どこへ行ってもすぐ、気軽にコーヒーを飲めたことが理由です。
 それに、つたない英語で、十分?通じた事も理由の一つです。   
                                                                                                                           
 家族のものは、私と旅行することを嫌っています。
「どこへ行ってもすぐ “お茶を飲もう”、そればかりで、見に行きたい場所へもいけない!。」 
というのが理由らしいのです。
 私は、有名な場所めぐりとか、風光明媚なところを訪れたい、という意欲があまりありません。
元来、出不精なのです。とは言え、山奥の温泉で、ゆっくりしたいという願いだけは常にもっていて、
それは、私が、長野の温泉に囲まれた田舎で、生まれ育った事と無縁ではなさそうです。
但し、山奥へ行っても、喫茶店を見つける努力を怠らない、きちっとした、自分のライフスタイルは、
守っているつもりです。
 

■ 「Huukei」


 “ぐうたら” という言葉は、響きが良くありませんが、
英語で、“LAZY” というと、ニュアンスはずいぶん違います。
“ものうげ”とか“ゆったりした” という感じがあるのです。

 レスター・ヤングに代表される、レイジーな感覚、
ジャズに不可欠なこの感覚が、わが身に染み付いているのではないだろうか〜。
などと、好き勝手に妄想してる、今日この頃です。


 ………

☆ 少年時代の音楽の想い出は、ほとんど、映画と密接に結びついています。
中学時代、厳しい“映画観賞規制”があったのですが、ややエコヒイキという幸せな環境を利用して、
自由に映画を楽しむことが出来ました。
 高校時代になると、運動部ではかなりの顔になっていましたから、
それを良い事に好き勝手に振舞っていました。
保守的な進学校で、ただ一人の長髪を、教師の嫌味にも屈することなく、守り通したものでした。
見放されていたと、一般的には表現しているようですが…。
 
■ 「Shane」 :1953

 それが、大学に入ってすぐ、
六大学のリーグ戦で優勝出来なかったというだけで、
全員丸坊主という、不幸に遭遇してしまったのです。
小学ニ年生のときから、ケーリー・グラントにあこがれて
伸ばしていた大切な髪の毛を…。

 自由が丘の理髪店で三分刈りにしたのですが、
終わってから店員が笑っているので、恐る恐る鏡を見ると、
丸坊主の頭にもかかわらず、キチッと分け目が出来ていたのです。
鏡の中の自分が次第にボヤけていったものでした。

 今でもシャレた街として人気の自由が丘ですが、私にとっては、屈辱の街として永く記憶されています。
           
 両親が無類の映画好きということもあって、小学生の頃から映画館通いが当たり前のようになっていましたから、
恐らく1954年〜1959年の大抵の映画を観ているんじゃないかと思っています。
但し、複雑なストーリーにはついていけなかったために、今でも単純な娯楽映画好きになってしまったことが、
チョッと後悔されます。

 60年以降上京してしまい、それ程観られなくなるのですが、丁度その頃から、ハリウッド映画も衰退していきましたから、
音楽も映画も、50年代のアメリカが、一番輝いていた時代だったような気がします。

 
 
 
■ 「Movies」 : 1950 ' s 

 不思議な事に、音楽雑誌というものを買った憶えがありません。
ウクレレ、バンジョー、ギター教本等は、昔持っていましたが…。
 今でも、書店で覗く事はあるのですが、買ってまで読みたいと思った事はありません。

 成人してからの、趣味の雑誌といえば、カメラやゴルフ関係のもの位で、
一時凝っていた事もあって、随分愛読していたものです。


 大学時代の音楽や、モダンジャズについては、ページを変えて、あらためて書いてみたいと思います。

 


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