〜想い出の西部劇・音楽/1〜

 何とも使い古されたタイトルですが、
何気なく
「捜索者」のテーマ曲を口ずさんでいたら、
映画のラスト・シーン…、戸口に佇むジョン・ウェインの淋しげな後姿が頭に浮かび、
ふと、西部劇映画や主題曲の想い出でも、まとめてみようかなと思いたちました。

 
 「G.クーパー」               「J.ウェイン」                               「B・ランカスター」                 「G.フォード」 

 これまでのページでも、その時々、思いついたことを気ままに書いてきましたから、
西部劇映画には随分触れましたが、昔懐かしい映画や音楽のことは、
ひょんなきっかけで、繰り返し想い出すのはしかたありません。

 ここらあたりで、記憶の糸を手繰り、頭の中を整理しながら、
西部劇の想い出に耽るのも、今となっては楽しい作業かなと思っています。

 西部劇映画が全盛を誇ったのは50年代がピークで、私の熱中したのもその頃ですから、
記憶もおぼろげですし、また話しがごっちゃになりそうです。

★ 心に残る西部劇映画・俳優
★ 西部劇映画の主題曲

一応、こんなテーマでいこうと思っていますが、
先のことはわかりません。

音楽同様、個人の思い入れ本位ですから
一般的な評価とは、違うと思います。


★ 心に残る西部劇映画と俳優

 1 「西部劇」といえば、ジョン・ウェイン。
 
 このページを書くきっかけになった、ジョン・ウェインを最初に取り上げます、
というより、彼は、ジャズの世界でのサッチモ同様、
西部劇の世界では、ワン・アンド・オンリーの存在ですから、
最初に取り上げるのは当然かもしれません。
 もちろん、私のリアル・タイム以前から活躍していた俳優ですから、
年配の人だったら、違うイメージがあるのかもしれませんが、
私にとっては、好き嫌いを超越した、正統派西部劇映画のシンボル的存在です。

 彼の愛称はデュークですが、これが公爵の意味だとすると、
腕力の強いルイではなく、デューク・エリントンが対等なのかな、とか
カウント(伯爵)ベーシーもいるし、ナット・キング(王)コールはどうなのか、
我が、レスター・ヤングは大統領だし…とつまらない話に発展しそうです。


 彼は開拓精神旺盛な、アメリカを象徴する存在でしたから、
騎兵隊の将校、保安官、戦争の英雄、刑事…ジャンルを問わず、
頑固者で、官僚的で、権力の香りがするから嫌という人がいるかもしれません。
 事実、ベトナム戦争真っ只中に、世界中がアメリカを非難し、
国民まで反戦を叫んでいる最中に、
「グリーン・ベレー」という国威発揚映画を、
自ら製作主演するほどの、超愛国者でしたから…。

 50年代後半から、黒人の人権などが叫ばれ、
音楽の世界ではソウル(ブラック・イズ・ビューティフル)思想が広がり、
素晴らしい黒人アーティスト達の活躍が顕著になるのですが、
同時に、西部劇映画では、インディアンを諸悪の根源として、
むやみに殺戮することが出来なくなっていったようです。


 西部劇の衰退は、アメリカが世界から疑いの目で見られるようになったことと、
無縁ではなさそうです。
西部劇に限らず、ハリウッド映画の虚飾の世界も同様ですが…。
ジョン・ウェインも、活躍の場をアラスカに移したり、
白人の悪党に矛先を変えていったものです。

 私は、思想や主義などに、全く関心はありませんでしたし、
解る年でもなかったのですが、そもそも活劇映画に、
小難しい理屈を挿むこと自体気に入りません。
同じ頃観た、華やかなハリウッド映画が、いまだに最高だとも思っています。
 ジョン・ウェインの演じる、勧善懲悪の世界を、肩の凝らない娯楽作品として
楽しんだのは、50年代の東映時代劇映画と全く同じ感覚でしたし、
日本映画も、その頃全盛期を誇っていたものです。
…チョッと、脱線しました。
 
彼の30年代の作品は、
リバイバルでもほとんど観ていないと思いますが、
出世作と言われている
「駅馬車」については、
テレビで何度も観ているので、むしろリアルタイムの作品より、
鮮明にストーリーを憶えています。それだけに、
スリリングな感動も、強い想い入れも湧かないのが残念です。
最後の決闘シーンと、オシャレな結末は、
大いに納得できるものだっただけに、もっと多感な時代に観たら、
きっと想い出深い作品になったはずです。
映画主題曲:♪
「淋しい草原に埋めてくれるな」はスタンダードになりました。

 この映画、有名なリンゴ・キッドが、善人として扱われていたのを、
「OK牧場の決闘」での悪党ぶりを観ていただけに、奇異に感じたものです。
それと、彼が、ブルー・ジーンズの(白黒なので想像ですが)
裾を返して穿いている姿を観て、意外な感じを受けました。
彼は、騎兵隊の制服以外では、大抵、ツンツルテンのサイズの、
薄い色をしたチノパンみたいなものを穿いている印象があったものです。
…つまらない話でした。

 
「リオ・グランデの砦」「黄色いリボン」を、
子供の頃観たせいか、ジョン・ウェインは、
騎兵隊が一番似合う俳優というイメージを、
今でも、どこかに抱いています。

「黄色いリボン」とよく間違える映画主題曲に、
「テキサスの黄色いバラ」があります。
こちらは、
「拳銃稼業」の主題曲ですが、
ジョン・ウエインではありませんし、ストーリーの記憶はありません。
 ジョン・ウエインとウイリアム・ホールデンというビッグ・ネームが共演した
「騎兵隊」の主題曲:「騎兵隊のマーチ」もお馴染みです。

 彼は、規律や節度を重んじる男…どのような役を演じても、
ジョン・ウェインはジョン・ウェインという感じで、男の中の男というイメージでした。
それだけに、彼が優しく女性に言い寄ったシーンとか、
とろけるような甘いラブ・シーンを観た記憶が全くありません。
もし、そんな映画があったとすれば、恐らくデビュー当時ぐらいなのでは〜?。
 
「リオ・ブラボー」「アラスカ魂」のように、彼女が大好きなんだけれど、
口が裂けても、愛のセリフなどは言えない不器用な男…それが彼のイメージです。

 「赤い河」も、子供の頃観たのですが、例によって頑固者だったという以外、
あまり憶えていないのは、養子役のモンティが苦手のせいかもしれません。
モンティは、繊細な役の現代劇が似合っていて、西部劇向きではありません。
 
 「三人の名付け親」は後年テレビで観ましたが、
悪党達が赤ちゃんを抱えて、おろおろするところなど、実に微笑ましいと思ったもので、
要は、どんな困難にも立ち向かう、腕っ節と度胸を持つ反面、
か弱い女性や子供に対しては、からっきし意気地が無いというのが、彼でした。
 
「勇気ある追跡」なども、
無骨で優しい男の典型を演じていました。

もう晩年で、かなりくたびれていましたが、
テキーラ?の瓶を指に引っかけて、肩の上に乗せて
グビグビ飲むシーンなど、彼にしか出来ない豪放なもので、
ああいうチョッとした仕草に男は憧れるものです。
でも、あの映画でアカデミー賞の主演男優賞を取るなら、
それ以前にも、いくらでも良い演技を見せた映画はあったのに…、
と、遅い受賞に憤りを感じたものです。
 この映画で共演したグレン・キャンベルが、主題歌:
「勇気ある追跡を歌っています。

 長いキャリアですから、沢山の女優と共演していますが、
ジョン・ウェインの女房役といったら、モーリン・オハラ以外考えられません。
子供時代の記憶で
「リオグランデ砦」のイメージが強いのですが、
「静かなる男」「マクリントック」…、まだ他にもあるかもしれません。
モーリン・オハラは、頑固一徹の男に負けない、開拓時代の鉄火の女という感じがしますし、
どちらもべたべたしたラヴ・シーンが苦手そうで、2人はお似合いでした。

 現代劇では、航空モノがいくつかありましたが、こちらが幼かったので、
ストーリーは殆ど憶えていないし、内容がごっちゃになってしまうのですが、
「紅の翼」の主題曲だけは、いまでも口笛が自然と出てくるのですから恐ろしいものです。
 この曲は、ラジオのヒット曲でもよくかかっていましたから、そのせいかもしれませんが…。
 同じ現代劇でも、
「静かなる男」は子供心につまらない映画でしたが、
後年観た
「ドノバン珊瑚礁」でも、拳銃を使わない格闘シーンがありました。
リー・マービン相手なら、拳銃で勝負してもらいたいものです。

 
「失われたものの伝説」はアフリカが舞台のソフィア・ローレンとの珍しい組み合わせ、
これも派手な撃ちあいなどないものの、比較的気に入った作品です。
ソフィア・ローレンは、好みではないけれど、どの映画でも魅力たっぷりでした。
 同じアフリカのガイド役で
「ハタリ!」という映画もありましたが、
こちらは、ライフル持参というものの、ややコミック・タッチでしたし、
インディアンがダメだからといってアフリカはないだろう、というのが偽らざる気持ちでした。
 
「史上最大の作戦」では、
有名な101空挺師団?の大佐役だったのに、
パラシュート降下で足を傷め、
荷車で運んでもらうという淋しい役回り…。
あの映画では、最も激戦区となった、
オマハ・ビーチ?で指揮をとった、
ロバート・ミッチャムが一番の儲け役でした。

なお、この映画には、ロバート・ライアン、ヘンリー・フォンダと、
西部劇でもお馴染みの大物俳優が共演していましたが、
2人については後ほど〜。
ジョン・ウェインとロバート・ミッチャムは、同じ保安官として、
「エル・ドラド」で共演して、これも面白い活劇映画でした。
 
リバイバルで観た、
「アパッチ砦」
第七騎兵隊のカスター将軍を演じたのが
ヘンリー・フォンダだったような?、
…あまり真剣に観なかったので記憶もいい加減ですが、
ともかく、無謀な戦いを阻止しようとしていたのが、
ジョン・ウェインでした。

彼の騎兵隊モノは、ほとんどそんな役回りだったと思います。
カスター将軍を題材にした映画も、いくつか観ましたが、
「アラモ」同様、全滅してしまうと解っている映画は、どうしても好きになれません。

 アラモを題材にした映画は、今までいくつか観ていますが、私はアラモ前夜の物語で、
スターリング・ヘイドンがジム・ボウイを演じた
「アラモの砦」が一番好きです。
 
「鹿皮服を着た男」は、フェス・パーカーがクロケットを演じただけでなく、
ヒット・チャートを賑わした
「デビー・クロケットの歌」を、自ら歌っていました。
 
この歌、手元の1955年のアメリカのヒット・ナンバーを集めた
音源には、テネシー・アーニーフォードとビル・ヘイズの
ヴォーカルも入っています。
♪「16トン」 のテネシー・アーニーフォードが流行った年ですが、
3人の歌を聴き比べてみて、どうもイメージがピッタリきません。
これ以外の人が歌っていたような気もしますが…
確かめようがありません。
昔は1つの曲を、歌手も楽団も競って取り上げるという、おおらかな時代でしたが、
小阪一也なども、驚くほど早く日本語バージョンで歌っていたのですから、驚きです。

 「アラモ」
の主題曲:「グリーン・リーブス・オブ・サマー」は、ブラザース・フォーで
ヒットしましたが、これはサウンド・トラックではありませんでした。
 
こうして、映画音楽の話までその都度書いてしまうと、西部劇映画音楽のテーマも
怪しくなりますが、書いているうちに想い出してくるのを止めようがありません。


 後述するグレン・フォードにも、アラモを題材にした主演映画がありますが、
ジョン・ウェインの作品は、最も大がかりで、残酷で、一番後味の悪いものでした。
個人的には、リチャード・ウィドマークとローレンス・ハーベイが好きなのですが、
どちらも死んでしまうのではガッカリです。
 
60年代に入って、映画もリアリティを追求しすぎて、ロマンがなくなっていきます。
どこかで書きましたが、黒沢明監督の影響だと思っています。


 新しい映画(実際はもう随分たちますが)、
「ブラニガン」「マックQ」では、珍しく刑事役を演じていました。
ミスキャストじゃないかな、というほどの高年令の刑事でした。
 この時代は、西部劇だけでは興行的にやっていけなかったのでしょうが、
むしろチョッと前に観たシナトラのほうがサマになっていましたし、
同時代では、ジーン・ハックマンの
「フレンチ・コネクション」が決定版でした。
 
この映画、仕事の合い間に、たまたま伊勢丹前の映画館で観たのですが、
あまりの迫力にビックリすると同時に、いたく感動した想い出があります。
上映後もあまり話題にならなかったので、
ジーン・ハックマンがアカデミー賞を取った時、私の目が狂っていない事を、
友人達に自慢したものでした。


 ジョン・ウェインの刑事は動きも悪かったけれど、それより、
彼にとっては、スミス・アンド・ウエッスン・チーフ・スペシャルは、
まるでおもちゃみたいで似合わなかったことのほうが気になりました。
 ピースメーカーか、せめてダーティー・ハリーのような大口径の拳銃を
携帯して欲しかったものです。…映画自体は面白かったのに、
そんなことが気になるところが、ジョン・ウェインたるところです。
 西部劇でも同様で、大きな身体の腰のあたりにチョコンとくっついたような
ホルスターと拳銃などまったく似合いません。
図体のデカイ彼には、ライフルが丁度良いバランスなのです。

 
西部劇映画でつまらなかったのは、

「西部開拓史」
「リバティ・バランスを撃った男」で、
前者は大味のオムニバス映画、
後者はジョン・ウェインが死んでしまったからです。
リー・マーヴィンは、好きな俳優で、
リバティ・バランスを演じていました。

ジェームス・スチュアートについても、いずれ触れますが、
「西部開拓史」では、ジョン・ウェインとバラバラで出ていました。
ジェームス・スチュアートの西部劇は、ジョン・ウェインと対照的な
考えさせられるようなストーリーがほとんどです。

 この映画、ジョン・ウェイン、ジェームス・スチュアート、ヘンリー・フォンダ、
グレゴリ−・ペック、それにリチャード・ウィドマークと、超豪華な顔合わせで、
観る前からつまらないということは、容易に想像できました。
 これだけのオールスター・キャストでは、監督も役の配分に頭が一杯で、
面白い映画が作れるわけがありません。
「史上最大の作戦」も同様でしたが…。
 
「リバティ・バランスを撃った男」では、
ジョン・ウェインは恋人を彼に譲り、
密かに悪党リー・マービンを撃って彼を助け、
一人淋しく死んでいく…、何ともやるせない映画でした。
お気に入りベラ・マイルスが出ていたのが、救いでしたが…。

主題歌♪「リバティ・バランスを撃った男」は、
ジーン・ピットニーが歌って大ヒットしていました。

私は主人公が死んでしまう映画は嫌いです。
不死身のジョン・ウェインが、死んでしまう映画というと、
「アラモ」を想い出しますが、役がデビー・クロケットだけに仕方ありません。
「11人のカウボーイ」は、テレビ放映で観たのですが…ガッカリでした。

 「捜索者」「リオ・ブラボー」という名作の後、60年代以降、
世界が変わり、ハリウッド全盛期を過ぎ、スパイ映画、マカロニ・ウエスタン、
ヨーロッパ映画などがスクリーンで巾を利かせる中、
ただ一人、ジョン・ウェインは正統派西部劇俳優として、
孤軍奮闘していたのですから、見事と言わざるをえません。
 
「コマンチェロ」
この映画が60年代の始まりの作品というのが、
面白いところです。
インディアンの襲撃に見せかけた、
白人強盗団をコマンチェロというのですが、
ジョン・ウェインと、罪人のスチュアート・ホイットマンが、
協力して、連中をやっつけるというストーリー。
50年代半ばまでだったら、間違いなく悪党はインディアンだったものです。

 「エル・ドラド」のジェームス・カーンなどは、違和感のあるキャラクターでしたが、
時代が変わって、エンターテインメントの要素が必要だったのでしょう。
でも、面白い内容でしたから、安心して、それでも途中はハラハラしながら観ていたものです。

 「マクリントック」 「エルダー兄弟」
なども、
西部劇ファンに夢を与え続けてくれた、ジョン・ウェインの娯楽大作で、
どれも、理屈抜きに楽しめるものばかりでした。

 私は、マカロニ・ウエスタンは嫌いでしたから、ジョン・ウェインの存在は貴重でしたが、
クリント・イーストウッド、リー・バンクリーフのものだけは、映画館で観ました。
 しかし、あのマカロニ・ウエスタン・ブームは異常でした。
アメリカ人の出ない西部劇映画など、よく作れたものだと今でも呆れていますが…。
 
「アラスカ魂」は、
珍しく1902年のアラスカが舞台の西部劇でした。
ジョニー・ホートンが
「ノース・トゥ・アラスカ」
内容を解説しています。

この映画で忘れられないのは、
大雨で大木が根こそぎ倒れて、その掘り返された地面から、
光り輝く金の塊が、ザクザク出てきたシーンです。
後に観た
「マッケンナの黄金」ほどの規模ではなかったものの、あんなお宝を目の当たりにしたら、
人間おかしくなるのも無理はないな、と思ったものです。
 そういえば、ほんとうにおかしくなった映画が、
「失われたものの伝説」でした。
ロッサナ・ブラッツゥイが、財宝をジョン・ウェインとソフィア・ローレンに奪われないかと疑い、
遂には被害妄想が高じて発狂し、ジョン・ウェインに撃たれてしまいましたが…。

ディーン・マーティンは、
「エルダー兄弟」でも頑張っていましたが、
「リオ・ブラボー」
で、硬派なジョン・ウェインには、お似合いの共演者ということで、
きっと再度選ばれたのでしょう。
スパイ良し、色男良し、そして西部劇でもサマになるのですから、器用な俳優です。
彼はもちろん歌手として大成しましたが、ジェリー・ルイスとのコンビで、
映画の方が先だと思っていますから、そもそも演技が上手くて当然なのです。


 「チザム」では、フォード一家で、常にいい味を出しているベン・ジョンソンが、
存在感のある演技をしていました。
「リオ・グランデ砦」から憶えていた俳優ですが、
幼い頃のビリー・ザ・キッドが登場したのも、この映画だったと思います。
 
 だらだらと、思いつくまま書いてきましたが、
彼の映画で、ベストと断言できるのが
「捜索者」です。
(娯楽映画では
「リオ・ブラボー」ですが…)
 好きだったベラ・マイルス、売出し中だったジェフリー・ハンター、まだお子ちゃまだった、
可愛らしいナタリー・ウッド、そしてフォード一家では欠かせないワード・ボンド、
あと、名前は知らないけど、ロッキング・チェアに座っていた変なじいさん…。
俳優陣も申し分の無いところでした。
 
西部に生きる男の孤独な生きざまを、
見事にジョン・ウェインが描き出していて、
残酷なシーンもあるものの、
これほど見応えのある作品は、他にありません。


私は、派手なガン・プレイのある映画が大好きですが、これは別格です。
 ストーリーは、
南北戦争が終わって、ふらっと兄の家を訪れたところから始まります。
幸せに暮らす家族…、しかしある夜コマンチ族に襲われ、兄夫婦は殺害され、
幼い娘がつれ去られてしまう。ジョン・ウェインは、無残な焼け跡で、
コマンチの酋長への復讐と、姪を連れ帰ることを決心して、長い捜索の旅に出る〜。
 この映画、絵のような素晴らしいショットが沢山あるのですが、
厳しいストーリーの中にも、チョッとしたユーモアがちりばめられていて救われます。
宿敵を倒したあと、インディアン嫌いの彼が、ナタリー・ウッドを抱きかかえて、
“家へ帰ろう!”と言うシーンなどは、子供心にグッときたものです。

 
そして、感動のラスト・シーン…
全てが終わって、ジョン・ウェインが
戸外へと歩きだす淋しげな後姿は、
映画史上でも相当上位にランクされるべき、
見事なショットと思っています。

おかげさまで、内股で、右足を引きずりながら歩く、
彼独特のポーズは、今では私の一番の得意技になっています。
それと、この写真のように、何気なく振り返るときの大げさな仕草…、
大抵の映画で見せてくれています。

 ついでに、ライフルを構えて狙いをつけるときに、一度大きな目を見開いて、
そのショットが大写しになる、というのもジョン・ウェインならではのお約束でした。

 「捜索者」は、ジョン・ウェインの最高傑作だと確信していますが、
それは、単純なインディアンへの復讐劇を超えた作品だからだと思っています。
 ジェフリー・ハンターとベラ・マイルズの恋愛エピソードを含め、
辺境の地で、身を寄せ合うように生きる人たちの素朴な生活描写は、
ジョン・ウェインの非情なまでの復讐心を、より強調すると同時に、
映画に一層の深みと広がりをもたらし、感動を与えてくれているのだと思います。

 娯楽大作としては、
「リオ・ブラボー」が一番で、
映画で使われた「皆殺しの歌」「ライフルと愛馬」は忘れられませんが、
以前触れましたから省略します。


長くなりましたから、そろそろ次の俳優の話題へ移ろうと思います。
 

 
2 グレン・フォードがお気に入り。
 

 どんな西部劇映画でも、必ず同じ形に整えたテンガロン・ハットを被った、
おさるさんのような親しみのある顔…、
身長、体型、服装、仕草などから、腰のガンベルトが誰よりも似合う俳優…、
それが、グレン・フォードでした。
 もちろん彼も、40年代に多くの映画を撮っているのでしょうが、
これはほとんど観た事がないので、その頃のイメージは解りません。

 リアル・タイムのグレン・フォードは、西部劇のスターとして人気もありましたから、
ガン・ファイターのイメージが強いのですが、現代劇でも、
ほとんどギャップを感じない俳優でした。

 同じくガン・マンと言って、すぐ思い浮かぶ俳優に、
オーディ・マーフィーがいますが、グレン・フォードの演じるキャラクターは、
ジョン・ウェインやオーディ・マーフィーとは違って、チョッと訳ありの主人公役が多く、
繊細なイメージのするところが、良かったのかもしれません。

 難しいストーリーは、子供時代ということもあって、記憶が曖昧なのですが、
彼の映画は、西部劇でも上品な感じが漂っていましたし、
フェリシア・ファーやシャーリー・マックレーンと、相手役の雰囲気も良く、
グレン・フォードは、特にお気に入りの俳優でした。
 
フェリシア・ファーは、清潔感に溢れた美人で、
小さな顔、チョッとふくらんだような瞼が
とても魅力的な女優さんでした。
キム・ノヴァクのお姉さんといった感じで、
どちらも大好きな女優さんです。

子供の頃、西部劇映画に期待していたものは、
カッコいい拳銃さばき、素敵な女性、そしてハッピー・エンドという3点セットでした。

 それだけに、長い間フェリシア・ファーだと思っていた、
「必殺の一弾」のヒロインが、
ジーン・クレインだったと知って、正直がっかりしたものです。
もっとも、
「白昼の決闘」のヒロインがジェニファー・ジョーンズだとは知らないで、
永遠のアイドルだったということもあり、少年時代の思い込みと、勘違いなどは、
よくあることです。
 50年前の映画を、間違えなく憶えているとしたら、大変な記憶力というより、
異常なことなのかもしれませんから…。

 
「暴力教室」が、彼を意識した最初の映画だったと思いますが、
シリアスな映画で面白くなかった、としか言いようがありません。
 
「八月十五夜の茶屋」は、京マチコ、眉毛のつり上がったマーロン・ブランドと
共演した、どちらかといえば喜劇映画でした。マーロン・ブランドは、
「サヨナラ」にも出ていますが、私は日本を舞台にしたアメリカ映画は嫌いなので、
良い印象をもっていませんし、マーロン・ブランドも好きな俳優ではありません。

 真面目な兵隊さんのグレン・フォードが、ほのぼのとしたユーモアを
見せてくれたのを憶えていますが、そんな彼のキャラクターを生かした、
「Z旗あげて」は、もっとオシャレな映画でした。
 このての戦争コメディで、すぐ想い出す映画は、
ケーリー・グラントとトニー・カーティスの
「ペティコート作戦」です。
こちらのほうが私好みでしたが、Z旗というのはパンティのことですから、
どちらも女性の下着がタイトルというところも似ているので、混同します。

 
「ミスター・ロバーツ」も一応、ジャック・レモンが出ていたので
喜劇タッチなのですが、ヘンリー・フォンダやジェームス・キャグニー?が
相手では、心底笑える映画にならなかったのは仕方ありません。

 グレン・フォードが、チョッと気弱な はにかみやさん、
ケーリー・グラントが、ハンサムなのにおとぼけ上手、
ヘンリー・フォンダは、いつでも生真面目、
コメディ映画での、三者三様のキャラクターは、いつまでも憶えているものです。
 もっとも、実像ではヘンリー・フォンダは、随分浮名を流していたようで、
当時の雑誌でそんな記事をよく読んだものです。


 西部劇映画というタイトルで始めたのに、もうグズグズになったようです。
懐かしい映画や俳優を想い出す際、西部劇だけというわけにいかないのは、
チョッと考えれば解りそうなものを…。
まあ、いずれ、「想い出の現代劇と俳優」というページでも考えることにして、
グレン・フォードの西部劇に話を戻します。
 
「縄張り」

軽快で解りやすいストーリーの正統派西部劇でした。
グレン・フォードの西部劇では、
「必殺の一弾」の次に好きな映画です。

この映画でも、彼は、拳銃の妙技を見せてくれました。
喧嘩を売ってきた男を前にして、
グラスとポーカーのチップを同時に空中に投げて
グラスを撃ち、落ちてきたチップをさりげなく受け止める…こんなシーンでした。
 相手は、その腕前に恐れをなして退散してしまうのですが、
空中に物を投げて撃ち抜くというシーンには、忘れられない映画が他にもあるので、
別なところで改めて取り上げようと思っています。

 
彼がカッコいいガンマンだと、心にしみついているのは、
なぜか、こんなシーンが彼の映画には多かったからだと思っています。
 
 ストーリーは、
グレン・フォードの宿敵で、今は町を牛耳っているボス:
レスリー・ニールセンをやっつけるために、
カウボーイではなくシープボーイとして、
沢山の羊をつれて町にやってきます。

羊は大切な牧草を食べ尽くしてしまう嫌われ者で、
ニールセンへの嫌がらせだったかもしれませんが、
ともかく羊飼いは、バカにされる存在だったようです。
 ボスの嫌がらせに対して、グレン・フォードは、様々な方法で対抗します。
雇われた殺し屋との対決では、彼の許婚のシャーリー・マックレーンの手助けもあって、
やっつける事ができますが、最後は子分たちに囲まれたボスとの決闘…、
結局、彼を殺し許婚も手にして、めでたしめでたし〜。

 打ち合いシーンもたっぷりで、幸せ一杯の映画でした。

 グレン・フォードと結ばれる娘が、シャーリー・マックレーンだったことも、
この映画を忘れられない理由でもあります。元気一杯のはねっかえり娘でしたが、
チャーミングで、大好きな女優さんです。
 彼女は、どんな辛い時でも笑顔を絶やさない明るい性格、というイメージがあって、
歌って踊れる素晴らしい女優さんです。
 
「決断の3時10分」

駅馬車強盗の親玉役が、グレン・フォードでした。
彼を護送するための列車の出発時刻がタイトルです。
この映画、どうも
「真昼の決闘」「シェーン」
イメージがダブります。

 実質上の主役が、牧場主のバン・ヘフリンということ、グレン・フォードが悪役を演じたこと、
フェリシア・ファーが酒場の女なんかを演じていたこと…気に入らない理由がいくつもありました。
 グレン・フォードが悪役を演じた映画は他にもあって、どれも嫌なのですが、
この映画での彼は、悪党なのか善人なのか中途半端な思いが残っています。
 主題歌をフランキー・レインが歌っていたはずですが、手元に音源がありません。
彼の大ヒット曲:
「ローハイド」「OK牧場の決闘」ほどは流行りませんでした。
 
「カウボーイ」

この映画も、ジャック・レモンが主演の映画でした。
カウボーイに憧れる都会のひ弱な男が、
ひょんなことでそのチャンスを得て、
カウボーイ生活を送っていくうちに、
その厳しさを学び、遂に一人前のカウボーイに成長していく
という話です。
カウボーイのボスがグレン・フォード、頼りない都会っ子が
ジャック・レモンという、絵に描いたような配役ですが、
私にとっては物足らないものでした。

 都会へ出てきたときのダンディさと、カウボーイに戻った時の
おなじみの姿…グレン・フォードの変身振りがカッコ良かったものの、
カウボーイ姿のジャック・レモンは似合わないというものです。
彼は、
「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」などが出色ですから…。
 
「平原の待伏せ」

アラモの砦をテーマにした映画なのに、
主人公が死なないということで、

「アラモの砦」
同様好きな映画です。

ストーリーは、
メキシコ軍に囲まれたアラモの砦は、
既に絶望的な状態にあって、
砦の義勇軍の人達は、
町に残してきた家族が襲われる事だけが気がかりでした。
そこで、くじ引きで決めた一人が、砦から抜け出して、残された家族達に、
現在いる場所が危険であることを知らせにいくということになります。

 結局、グレン・フォードが行かされる事になり、無事に砦を脱出するのですが、
町へたどり着いてみると、既に町は全滅していて、
しかも彼は脱走者・卑怯者のレッテルを張られて投獄されてしまう。
町を襲った連中はメキシコ軍ではなく、実は悪い白人達だと聞かされる。
〜〜牢屋から出て、それから色々あって、結局、生き残った婦人や老人と、
今ではグレン・フォードの事情を理解した兵隊達が、
協力し合い悪党達をやっつける事になります。

 グレン・フォードの機転を効かせた、待ち伏せ戦術が成功して勝利し、
そのボスをグレン・フォードが倒すと同時に、彼の汚名も晴らすことができる。
結婚を約束した女性を後にして、彼は再び軍に加わるために出かけていく〜。


 当時、アラモの砦では全滅が死んでしまったことを知っていたので、
この映画が、ハッピー・エンドだったことに胸をなで下ろしたものでした。
カウボーイの話ではないものの、妙に気に入った作品として記憶されています。
 ただ、映画を観ながら、こんなに簡単に脱出できるなら、
いっそのこと皆一緒に抜け出せば良いのに…、と感じていたことも想い出します。
共演した女優さんは
「怒りの河」に出ていたジュリア・アダムスでした。
 
「シマロン」

私は
「居酒屋」で、侘しげな演技を観て以来、
どうもマリア・シェルが苦手で、この映画と、
ゲーリー・クーパーの
「縛り首の木」は、
本格西部劇映画という感じがしていません。

特に、西部劇でありながら、グレン・フォードの役が
カウボーイではなく、野心家の男ということで、
好きではありません。
「リバティ・バランスを撃った男」のジェームス・スチュアートなら許せますが、
グレン・フォードの政治家はいけません。

 この映画で、唯一忘れられないシーンがあります。
新天地アメリカへ夢を抱いて渡ってきた人達に、土地を分配するのに、
独特なルールがあったようで、幌馬車による競争で、ゴールに早く着いた順に
土地がもらえるというものです。
 この映画でも、横一線に並んだ家族を乗せた幌馬車が、
砂煙をあげて、われ先へとゴールへ向かうシーンがありました。
いかにも開拓時代のアメリカらしいエピソードで、おおらかで羨ましい気分がしたものでした。
「西部開拓史」でも同じようなシーンがあったような気がしています。
 
「去り行く男」

ストーリーは憶えていません。
ただ、素朴なオヤジを演じていたアーネスト・ボーグナインと、
フェリシア・ファーの清純な面影だけは強く印象に残っています。
この映画が、グレン・フォードとフェリシア・ファーでしたから、
「必殺の一弾」でも共演していると錯覚したのでしょう。

 50年代の半ばから、ひっきりなしにグレン・フォードの西部劇は
上映されていましたから、間違えても仕方ないことは解っているのですが、
私にとっては一大事です。
 ただ不思議な事に、ジーン・クレインという女優さんを全く知りません。
バージニア・メイヨ、バーバラ・スタンウィック、ジョーン・ドル−、ジーン・アーサー、
アン・バクスター、クレア・トレバー…いろいろ知っているつもりなのに。
 
「必殺の一弾」

早撃ち自慢の悪党が、
名の知れた拳銃使いと決闘して、彼を倒した。
一方、町から離れた山の中では、
我がグレン・フォードが今日も射撃の練習をしていた。
早撃ちの父の教えで、父以上の腕をもつようになっていたが、
父が暴漢に襲われた時に何も出来なかった事を悔い、
生まれ故郷を捨てて、町で夫婦で雑貨屋をしていた。
しかし、父の形見の拳銃で、早撃ちの稽古は怠るわけにはいかなかった。

 町のバーでは、決闘の噂でもちきりだった。
悪党の早業ぶりを聞いているうちに、グレン・フォードは、
自分の腕前を隠している事が出来なくなって、
酒の勢いもあって“この俺は、もっと早撃ちなんだぞ!”と言い、
隣の男に、ガンベルトの正しい付け方を講釈する、その上、
男にコインを投げさせ、それを空中で撃ち抜いてみせたり、
通りに出て、男の手に持たせたビール・ジョッキが、地面に落ちる前に、
目にもとまらぬ早い抜き打ちで、ジョッキを撃ち砕いて見せてしまった。

 正気に戻った彼は、教会に集まっていた町の人達に、
“私の噂が広まると、必ず拳銃使いが我も我もとこの町にやってくるから、
自分は町を出る”というが、“隠しておいてあげるから町に留まりなさい、”
と説得される。

 銀行強盗の後、この町へ逃げ込んできた、早撃ち自慢の悪党:
ブロードリック・クロフォードは、ひょんなことで、この町に早撃ちがいる事を知り、
行きがけの駄賃で、どうしてもその男を倒さなくてはと、町中を探し出す。
…そして、ついに隠れていられなくなった、グレン・フォードは、決闘をする決心をする。
 向かい合った二人、自信たっぷりなブロードリック・クロフォードの顔、
いかにも早撃ちと思わせる、常に動いている右手の指。
…一瞬、二人の拳銃が同時に火を噴いた!!。一体どうなったの?。

 次の画面が、二人の名前が彫りこまれた、墓石のアップに変わります。
相打ちによって二人のガンマンは死んだことに〜。
平和が戻った町で、グレン・フォードは、妻と二人で末永く幸せに暮らしたとさ…。


 どうしてこれほど鮮明にストーリーを憶えているのか不思議です。
女優の記憶違いがあるとはいうものの…。

 幼い自分が、グレン・フォードになりきって、
拳銃使いの、うぬぼれと不安な心情を味わい、
自分より早撃ちかもしれない相手から挑戦をうけて、逃げ出したい気持ちになり、
やっつけた後、もうこりごりだと思ったものでした。
 ガンマンのカッコよさ、怖さを体感した事などその後もありませんし、
あの映画のグレン・フォードは、私にとっては永遠の存在となりました。

 この映画の前に観た
「七人の侍」での、宮口精二が、ニヒルな剣豪役を好演しました。
後に
「荒野の七人」で、ジェームス・コバーンが、それをモデルにしたようですが、
彼と、ガンマンゆえに常に見えない敵に恐れおののいている、ロバート・ボーンを
足した感じが、グレン・フォードのイメージに近かかったな、などと振り返っています。

 もし機会があっても、もう一度この映画を観ようという気持ちはありません。
子供の頃味わったあの興奮を、そのまま心にしまっておこうと思っていますから…。

 映画とか音楽は、一般的な評価など関係なく、
自分がそれに出会って、どれだけ心に響いたかで価値は決まると思っていますが、
この映画は間違いなく私の宝物です。


 上京してからアメ横へ行って、このページの上にある、
ガンベルトとモデルガンを買って、日夜抜き打ち練習に励みました。
もちろん、
「平原児」のゲーリー・クーパーや、「シェーン」のアラン・ラッド、
「ヴェラクルス」のバート・ランカスターに負けないように、ということもありましたが、
ガンベルトに付いている紐を太ももに結びつけ、抜く時にホルスターが
一緒に浮き上がらないようにする、というのは、
「必殺の一弾」で、
グレン・フォードが教えてくれたことを、忠実に守ったのです。

 60年代に入っても、彼の西部劇映画は観ていますが、
「必殺の一弾」を超える映画はなかったので、このあたりで次へ移ります。


 
3 早撃ちのヒーロー:ゲーリー・クーパー
 
 早撃ちの拳銃使いを、映画館で観たのは、ゲーリー・クーパーが最初ですから、
本来なら、私にとっての正統派西部劇のスターは、彼ということになります。
 しかし、強く印象に残っている彼の映画は、親にくっついて映画館通いをしていた、
子供時代のものがほとんどですから、今となっては記憶もおぼろげです。
 そこらへんが長くスクリーンで活躍したジョン・ウェインや、
早撃ちで思い入れの強い、グレン・フォードとは違うところです。

 50年代は、戦前のリバイバルと、リアル・タイムのものとがゴッチャに上映されて、
正に西部劇全盛期でしたから、クーパーの古い映画も観ることができましたが、
スクリーンで観る限り、彼は30年代〜40年代が全盛期だったろうと思っています。
 ジョン・ウェインとゲーリー・クーパーは、全く違ったキャラクターで、
西部劇スターの双璧を成していますから、恐らくファンも二分されている事でしょう。

 現代劇では、特にいつまでも心に残っている映画は
「打撃王」です。
おかげで今でも、ニューヨーク・ヤンキーズ・ファンですし、
ベーブ・ルースとルー・ゲーリックの活躍した同じチームで、
現在、松井秀喜君が活躍していることに、不思議な感覚があります。
 ゲーリックが挫折した時、奥さんの愛と、チーム・メイトの暖かい支えで蘇った、
感動の物語で、ベーブ・ルースも出ていたらしいのですが、
布製のグローブでボール遊びをしていた、田舎のガキンチョに解る筈もありません。

 「誰が為に鐘は鳴る」は、切ないラスト・シーンと、
イングリット・バーグマンの魅力で、忘れようもありません。
内乱のスペインが舞台でしたが、義勇軍の仲間になったアメリカ人の
ゲーリー・クーパー、彼を愛したバーグマンが、
“キッスをする時、お互いの鼻がぶつかって邪魔にならないのかしら…?”
こんな、清純なセリフを言う女性に、一度めぐり会いたかったものです。

 別れを嫌がるバーグマンを、無理やり馬で逃走させ、迫り来る軍隊に
クーパーが一人、機関銃を連射しているシーンで映画が終わったのですが、
彼が身代わりになって、皆を救ったのだなということは、
幼い心にも理解できて、ジーンと胸に響いたものでした。

 
彼の場合、現代劇はしっかり憶えているのに、
西部劇のほうがあやふやな記憶しか残っていないのが、何となく不思議です。
彼は、ジョン・ウェインより早くから西部劇スターになったのでしょうが、
甘いマスクのためか、オールラウンド・プレイヤーとして成功したようです。
「モロッコ」などは、繰り返しテレビ放映されましたが、若々しく魅力一杯でした。

西部劇映画の想い出に戻します…。

 
 「北西騎馬警官隊」 「西部の男」 「サラトガ本線」 「スプリングフィールド銃」 「悪の花園」

 チラシを見ていて、これらの映画を観ているのか、観ていないのかさえ想い出せません。
子供の頃の映画は、単純なストーリーでないと、記憶に残らないのかも知れません。
リチャード・ウィドマークが悪人の「悪の花園」はかすかに記憶があるのですが、
これ以外に、劇的でハッピーなラスト・シーンだけが印象に残っている作品があります。
題名も解らず、探しようがないというのも癪な話です。
 
「ダラス」

記憶に残っている彼の最初の西部劇映画かもしれません。
役柄がその後観た、
「ヴェラクルス」とチョッと似ていたものの、
こちらのほうが、若々しくラフな感じが魅力だったことと、
ストーリーが解りやすく、記憶に残っている作品です。

彼は、品のある紳士というイメージが強く、
事実そんな雰囲気の役が多かったはずです。
 主人公が死なないというのも、私の場合大切な要素ですが、
お尋ね者が最後は自由になり、友人の婚約者の愛までゲットしてしまうという、
極めてハッピー・エンド・ストーリーだったことも気に入っている理由です。
 
「平原児」

悲劇的なラスト・シーンが、
いつまでも頭を離れない映画です。
カラミティー・ジェーンは、
「シェーン」にも出た、
ジーン・アーサーで、チョッとイメージが違って
ビックリしたものです。

 ゲーリー・クーパーが演じたのは、ワイルド・ビル・ヒコックですから、
拳銃の早撃ちシーンは何回も出てきましたが、
グレン・フォードの映画のように、あまり劇的なショットではなかったので、
特に凄いな、という印象が残っていないのが残念です。

 それに、彼のホルスターは、腰の位置で高すぎるし、
何と言っても、グリップ・エンドを前に向けた二挺拳銃スタイルなのです。
これは、B級西部劇ではよく観ましたが、(これを参考にしたのかも?)。
正統派ではないということで、イマイチ気に入らなかったものです。
 ただ、不思議な事に最後の決闘シーンでは、逆手で早撃ちをしていました。
B級映画の主人公は、必ず両腕をクロスして抜いていましたから…。

 後に、拳銃をホルスターに反対にさして、一生懸命練習したのですが、
手を最初からグリップのそばに置いておかないと、手を返す分遅れて、
その点、オーソドックスな方が絶対有利なはずだと、思ったものです。

 
今の時代、たまに早撃ちのコンテストなどをテレビで見ますが、
ホルスターも変な形で、拳銃はほぼ腰の位置に斜めにさしています。
そして、手はもうほとんど撃鉄に触ろうとしているかのようですが、
これは、1880年頃の決闘だったら、絶対卑怯者と言われたはずです。
やはり、腕は下げておかなければ、インチキして先に抜こうと思っていると
判断されてもしかたありません。


 もっとも、拳銃をホルスターに入れたまま、
腰撃ちで相手をやっつけた西部劇もありましたから、昔が全て正しいとも言えません。
 夜、一人でガンベルトをつけて、黙々といろいろなスタイルを試みていたので、
この辺の話になると、かなりこだわりもあるのですが、
興味の無い人にとっては、幼稚なバカ男と言われても仕方ない話です。

 この映画には、伝説の有名人が沢山出ていましたし、
クーパーのクールなガンマンの魅力に溢れた作品でしたから、
何も最後、あんなにあっけなく死ぬ事はないのに…。
 その後、カラミティ・ジェーンと幸せに暮らしましたとさ〜、という終りかただったら、
私の評価では、かなりランキング上位にくる作品だったのに、残念です。
 
「遠い太鼓」

開拓時代のフロリダが舞台の、
異色西部劇という感じでした。
ゲーリー・クーパーが案内役となり、
海軍の兵士達と一緒に、
インディアンの捕虜になった白人を救い出したものの、
最後はインディアンに行く手を阻まれて、進退窮まってしまう。

 
西部劇映画は、テーマや時代によって内容も面白さも違いますが、
開拓時代もの、騎兵隊もの、カウボーイもの、保安官やアウトローもの、
それに、ミュージカルやコメディと色々あるうちで、開拓時代のものが、一番地味です。
なにせ、連発式の銃が無い時代ですし、ストーリーがどうしても素朴になりがちです。


 でも、この映画のラストでの決闘シーンは、見事でした。
インディアンと白人が大きな河をはさんでにらみ合い、一対一の決闘で決着をつけよう
ということになるのですが、それが水中でのナイフを使っての殺し合い。
 クーパーと酋長が、それぞれ大きなナイフをくわえ、河の中央まで泳いで行き、
やおら水中深く潜ります。
 やや緑がかった澄んだ水中で、ナイフを握った二人が死を賭けて戦うシーンは、
今でも、時々夢に出てきます。
画面は、水中の激しい格闘シーンから、かたずを飲んで見守る岸辺の人達、静かな水面へ。
やがて、水面にポコッと、クーパーの姿が現れた時の安堵感…鮮明に蘇ります。
 ナイフでの決闘は、拳銃の早撃ちなどより数段ハラハラするものですが、
この映画は、最後の水中での格闘シーンを観るだけでも、十分価値があると思っています。

 
「真昼の決闘」

後に何度かテレビでも放映されたので、
ストーリーもよく憶えています。

結婚を期に、
他の町へ移り住もうと思っている矢先、
以前自分が逮捕した無法者達が、
正午の列車でこの町へ、復讐の為に戻ってくる…。

列車到着の時刻:12時(ハイ・ヌーン)までの時間と、
映画の上映時間が同じということが、評判になったものです。
 ゲーリー・クーパーは、毅然としてこれを迎え撃とうと思ったのに、
グレース・ケリーが、“関係ないから逃げましょう”という態度が、
クェーカー教徒ということで当然なのでしょうが、うっとおしい存在でした。

 個人的には、子供の頃観た時とほとんど印象が変わらず…、
あまり好きな映画ではありません。
・一対一の決闘シーンが無いこと、
・町の人の自分勝手な態度に、気分が悪かった事、
・グレース・ケリーが、妙に小生意気に感じられたこと、
・西部劇の保安官たるもの、一般市民に助けを求めるなどもってのほか
と思ったこと、等など理由は色々あります。

 最後に“ほな、サイナラ!”とばかりに、冷淡な連中を後に、
町を去るシーンだけは ざまあみろ、と思ったものですが、
「必殺の一弾」のような、観終わった後に、幸せな余韻が残らない映画でした。

 
ゲーリー・クーパーは、この映画でアカデミー主演賞をもらいましたから、
私の好き嫌いとは関係なく、良い映画だったのでしょう。
良い映画と、私の好きな映画は合致しないことがほとんどです。

 「リオ・ブラボー」でも、硬派な保安官を演じたジョン・ウェインだったら、
このような迷える保安官役を、間違っても引き受ける事はなかったでしょう。
 ジョン・ウェインは男のロマンを追及した、娯楽西部劇映画のトップ・スターで、
一方この映画は、西部劇に名を借りた社会風刺劇のようですから、
比較するのもどうかと思いますが、単純な西部劇ファンとしては、
当然、保安官には、強い意志と凄い腕前を期待したいものです。
 
50年代、グレース・ケリーは、
整った顔立ちと、清純で上品なイメージで
一番人気があったかもしれません。

そんな絶頂期に、レイニエ大公にみそめられ、
モナコへ行ってしまいましたが、
個人的には、素敵なハリウッド女優がいなくなっても、
残念だとは思いませんでした。
…その後可哀想なことになりましたから、これ以上は止めておきます。

 
玉の輿で、想い出す事があります。
ケネディ暗殺の瞬間を、リアル・タイムのテレビ・ニュースで観ていたのですが、
ジャクリーンは、夫を心配するより、自分が車から逃げようと必死だったように、
私には感じられました。その後、すぐにギリシャの造船王:オナシスに嫁いだ事も
大いに不満でした。
 それに比べると、今、バラエティでバカをやっている、デビ夫人のほうが、
可愛げがあります。スカルノ夫人になって間もなく、彼が失脚し、
恐らく死の恐怖を味わったはずですが、今でも健気に生きている感じがします。
ジャクリーンほど、ギラギラした野心が見えないところが良いのかもしれません。
…一体全体、何の話しがしたかったのか、解らなくなりました。


 ゲーリー・クーパーは、
普段は、口数が少ないシャイな男なのに、
いざとなると無類の強さを発揮するヒーロー、というイメージに加えて、
あのハンサムぶりですから、随分私生活でもモテたようです。
アメリカの良識などと言われた彼ですが、
昔、映画雑誌では、女性関係のゴシップ記事をよく読みました。
 
 彼は沢山の女優さんと共演していますが、私の知っているだけでも、
マレーネ・デートリッヒ、テレサ・ライト、ルース・ローマン、リタ・ヘイワーズ、
スーザン・ヘイワード、イングリット・バーグマン、グレース・ケリー、ドロシー・マクガイア、
オードリー・ヘップバーン、ジュリー・ロンドン、そしてマリア・シェルまで、
若い頃から晩年まで、その時々の人気女優を相手に頑張っていたようです。
そこらへんが、ハリウッド・ナンバー・ワンのスターたる所以でしょう。

 この「真昼の決闘」でも、親子ほどの年齢差にも関らず、
二人の恋愛が取りざたされていたような記憶があります。
もっとも、
「ダイヤルMを廻せ」「裏窓」「泥棒成金」のヒッチコックも、
主演のグレース・ケリーにぞっこんだったのに、振られてしまったようですから、
彼女に抜群の魅力があったことは間違いありません。

 映画の感想をそっちのけで、下らない話になってしまいましたが、
主題歌:「ハイ・ヌーンは、テックス・リッターの野太い歌声で大ヒットし、
今では、カントリー・ソングのスタンダードにもなりましたから、
この映画を忘れる事もなさそうです。

「ヴェラクルス」

リアル・タイムで観た
ゲーリー・クーパーの西部劇映画の中で
最高の作品でした。
クーパーの重厚な演技と、
バート・ランカスターの悪ブリの対比が見事で、
ストーリーの面白さも、文句のつけようの無い出来栄えでした。

 南北戦争終結直後、
メキシコにやって来た元南軍の大佐:ゲーリー・クーパーは、
乗っていた馬が脚を傷め、流れ者のバート・ランカスターから、
盗まれた馬とも知らずに譲り受けたことで、軍隊に追われ、
それがきっかけで、マクシミリアン皇帝?の軍隊に雇われる事になります。

〜二人は、メキシコの革命軍の出没する土地を通って、
ヴェラクルスまで、伯爵令嬢の馬車の護衛を命ぜられます。
道中、その馬車の轍が異常に深いことを不審に思った二人は、
馬車に隠された300万ドルの金貨を見つけだし、
これをチャッカリ頂こうと思うのですが…。
 大量の金貨を巡って、革命軍、フランス貴族、伯爵令嬢、
それに主人公二人が、入り乱れての騙しあい・奪い合い、
そして映画はクライマックスへ〜。

 ランカスターは邪魔者を殺し、クーパーと二人で山分けを、と思ったのですが、
クーパーは、メキシコ革命軍の心情を理解し、その金を彼らに与えようとします。
当然、納得のいかないランカスターは、拳銃で決着をつけようと言います。


 自信満々のランカスター、不承不承のクーパー、
一瞬、ランカスターの手がホルスターへ、同時にクーパーも〜、
銃声が轟き、ランカスターはニヤッと笑って、何事も無かったように、
拳銃をクルッと回転させホルスターへ戻します。
“エッ、まさか!”と思わせて…やがて、ランカスターが倒れていくのです。
 心ならずも倒してしまったクーパーが、ランカスターに近づき、
涙を浮かべながら、持っていた拳銃をほおり投げるシーンが印象的でした。


 典型的な悪党と善人が、過酷な旅を共に過ごすうちに芽生えてくる、男の友情、
そして、いずれは避けられないだろうと、それぞれが感じている二人の対決…。
子供の私でも読めたストーリーの流れ、エンターテインメントたっぷりの、
このような映画を、私の場合、昔から正統派西部劇と呼んでいます。
 但し、この映画だけは、二人とも生き残って欲しいと願っていましたが…。

 
バート・ランカスターは、
実質上の主人公と思える強烈なキャラクターを
伸び伸びと楽しんでいたようですが、
ゲーリー・クーパーも、
年令相応の落ち着いた演技を見せてくれました。

 全身黒ずくめの格好で、いかにも悪党風のランカスターはともかく、
正義の男:クーパーが、理由もなく他人の大金を盗む役を演じるはずはないのですが、
自分が戦争前にもっていた農場を取り戻し、雇っていた人達を食べさせるために
どうしてもお金が欲しいという事情が、前もって知らされていましたから、
軍隊に入ることや、金貨強奪に積極的だったのを、納得して観ていられたものです。


・軍隊や貴族の目の前で、ゲーリー・クーパーが、
ライフルで、棒の先に付いたロウソクの火?を次々と撃ち抜くと、
負けじと、ランカスターが拳銃の連射で同じ技を披露するシーン、
・ならず者二人を、ランカスターが後ろを向いたまま抜き打ちで倒すシーン、
・そして、ラストでの2人の早撃ちでの決闘シーン…。
 細部については、よく憶えていませんが、カッコいい射撃の場面だけは、
50年前の映像が、いまだに目に焼きついています。


 その後の映画について、簡単に触れておきます。

 
「友情ある説得」
南北戦争を背景にした、ホーム・ドラマのような西部劇、
この映画のクーパーのキャッチ・フレーズが“アメリカの良心”だったかもしれません。
ともかく、銃が嫌いなゲーリー・クーパーなど、ちっとも面白くないというものです。
主題曲:
「友情ある説得」は、パット・ブーンで流行りました。

 同じ頃、
「昼下がりの情事」という映画がありました。
初老の大金持ちのプレイ・ボーイ:ゲーリー・クーパーと、私立探偵の娘:
オードリー・へップバーンの純愛物語。
日本人はヘップバーンが好きらしく、よく再放映されますが、
ロマンティックな主題曲:
「ファッシネーション」もお馴染みです。

 
グレース・ケリー、オードリー・ヘップバーン…、
エルメスやジバンシーを身に付け、“ブランド神話”を生み、
ハリウッド映画を華麗に彩った、代表格の女優さんですが、
個人的には“綺麗だったなあ”とは思いますが、特別好きでもありません。
 
「西部の人」


昔強盗団の一味で、
今はすっかり足を洗って正義の男になった、
クーパーに心を寄せる酒場の歌姫を、
ジュリー・ロンドンが演じていました。
バイオレンス・アクション映画という感じの西部劇でした。

「マン・オブ・ザ・ウエスト」という曲を歌っていますが、
これを、彼女が劇中歌ったのかどうか、記憶がありません。
クーパーが、父親同様に慕っていた、強盗団の頭領を演じていた
リー・J・コップという俳優、個性的な脇役として、彼についても触れたいのですが…。

 「縛り首の木」
彼の西部劇は、これが最後だったような気がしていますが、
共演者がマリア・シェルということもあり、コメントは控えます。
主題歌:
♪「ハンギング・トゥリー」を、当時人気のカントリー・シンガー:
マーティ・ロビンスが歌ったおかげで、映画の題名だけはいつまでも忘れません。


 長くなりましたから、ゲーリー・クーパーの映画の想い出については、
このあたりで終りにしたいと思います。
 ところで、ゲーリー・クーパーを“クープ”と気安く呼ぶ人がいます。
私の記憶では、それほど一般的には使われなかったはずです。
ジョン・ウェインの愛称:“デューク”は広く知られていましたが…。
 まあ、つまらないこだわりは別にして、
私が漠然と感じている、西部劇映画のベスト・ファイブは、
「必殺の一弾」「ヴェラクルス」「リオ・ブラボー」「捜索者」「OK牧場の決闘」ですが、
この5作品には、それぞれ違った西部劇の面白さがあるところがミソです。

 ということで、このページ最後は、バート・ランカスターについて簡単に触れます。

 
4 男の魅力:バート・ランカスター
 

 男らしいハリウッド・スターは誰?と聞かれて、
まず頭に浮かぶのが、バート・ランカスターです。
彼は、60年代以降も、幅広い映画に出演し、
どの作品でも、常に存在感のある役柄を演じていましたが、
テレビ放映も沢山ありましたから、すっかりお馴染みの俳優です。

 子供の頃観て、記憶に残っている最初の西部劇は、
「アパッチ」です。
ここでの彼は、インディアンを演じていましたから、私の基準では、
正統派西部劇とはいえませんが、熱血漢で、男らしいというイメージは、
恐らくこの映画で生まれたような気がしています。

 そして、
「ヴェラクルス」で、彼の男らしく荒々しい魅力が、
決定的に私の脳裏に焼きつきました。
あの頃、ゲーリー・クーパーと互角に渡り合う俳優の出現は、
大きな驚きで、強烈な個性と存在感に圧倒されたものです。
 そして間髪を入れず、彼は西部劇の世界で最も有名なヒーロー、
ワイアット・アープを演じることになります。
 
「OK牧場の決闘」

この映画、元祖:ヘンリー・フォンダの

「荒野の決闘」
とよく比較され、
叙情的表現が足らないせいか、
やや評価が低いようですが、
私の中では、正統派娯楽西部劇としてトップ・クラスの映画です。

 まずこの映画がシャレているのは、
フランキー・レインが歌う
「OK牧場の決闘」が、
狂言回しの役割をしていて、シーン毎に適切な歌詞で、
ストーリー展開をスムーズにしてくれる事です。

 草原を馬に乗ってやってくる悪党達の映像と、
フランキー・レインの歌がタイトル・シーンから流れて、
これは、尋常な西部劇ではないぞと、期待が膨らんだものです。
 
この手法は、後に「キャット・バルー」でも使われていました。
そこでは、ナット・キング・コールが、所々で顔を出し、
バンジョーを奏でながら歌い、ストーリー解説をしていました。


 ダッジ・シティの保安官ワイアット・アープは、
たまたま元歯医者のドク・ホリディがリンチに遭いそうなところを助け、
町に戻ると、トゥームストーンで保安官をしている兄が待っていて、
リンゴー・キッドを味方につけたクラントン一家と
危険な状態になっていることを告げられる。

 厄介者のドクは、情婦とダッジ・シティへやって来るし、
女賭博師も禁止されている賭博を勝手に始めて、アープを悩ませるが〜、
アープは、次第にこの女性に惹かれていく。
一方、ドクは胸の病が悪化し、彼の情婦はリンゴー・キッドと良い仲になる。
 酒場でアープを待つ無頼漢を、アープに代わってナイフで殺したドク…、
そんな事件もあって、徐々にアープとドクに友情が芽生えてくる。
 アープは、彼女と結婚してカリフォルニアに行こうと思っていた矢先、
クラントン一家との危機を知らされて、ドクと一緒にトゥームストーンに向かう。
この時、フランキー・レインが歌う、トゥーム・ストーン=墓石についての
解説が印象的でした。


 クラントン一家に弟を殺されるに至って、
いよいよOK牧場で決闘ということになります。
クラントン側はリンゴー・キッドを含めて6人。
アープ側は、3兄弟にドクが重病をおして助っ人に駆けつける。
 激しい戦いの後クラントン一家を撃ち倒し、ドクはリンゴーを撃ち殺します。
平和が戻り、ワイアットは彼女との幸せな生活を目指してカリフォルニアへ〜。


 ワイアット・アープ役のバート・ランカスターと、
ドク・ホリディ役のカーク・ダグラス…トップ・スター同士の共演は豪華でしたが、
女賭博師役のロンダ・フレミングの美しさに、私は圧倒されました。
こんな綺麗な女性となら、アープならずともどこへでも行っちゃうというものです。

 息詰まるような早撃ちシーンは無かったものの、次々と悪党が出てきて、
これをやっつける醍醐味、アープとドクの友情、美しい女性とのロマンス、
避けられない決闘、そしてハッピー・エンドと、
娯楽西部劇映画の全ての要素を備えた、一級の作品でした。

 ドクがドアに向かってナイフ投げの練習をしていたシーン…、
同じ事は、この映画以前から私もやっていましたから、親しみをおぼえたものです。
 東映時代劇に影響されたのですが、手裏剣は当時から得意技で、
社会人になってから、バーベキューの櫛を投げて、
ゴキブリを串刺しにした実績がありますから、かなりの腕自慢でした。
もちろん、後のコンバット・コマンダーでの成果には及びませんが〜。


 
カーク・ダグラスは、あまり好みではないのですが、
この映画では、かなり好演していたと思っています。


 朝日を浴びて、決戦場に向かう4人の姿を、カッコいいと思ったのは、
私だけではなかったようで、後年、
「戦略大作戦」で、クリント・イーストウッドと
テリー・サバラスが、ドイツのタイガー戦車に敢然と立ち向かっていく時、
ドナルド・サザーランドが、腰の拳銃を抜き易く入れなおし、
「OK牧場の決闘」ばりの仕草をして、揃って歩いていくシーンは笑えたものでした。

 
「OK牧場の決闘」を題材にした映画はいくつもありますが、
「墓石と決斗」は、特に決闘の後日談として、
改めてクラントンとアープが対決するという、
リアルな雰囲気の映画でした。

ジェームス・ガーナ−が、珍しくシリアスにアープを演じ、
クラントンをロバート・ライアン、
ドク・ホリディをジェイソン・ロバーツが好演し、
決闘シーンも凝った工夫があり、迫力がありました。

 ジェームス・ガーナ−は、好きな俳優で、西部劇でも現代劇でも、
チョッとユーモアのある主人公で、最高の演技を見せてくれますが、
ロバート・ライアンは、
「誇り高き男」以来あまり好きな俳優ではありません。
 それも、彼とジョン・ウェインが不仲だと雑誌で読んだだけの単純な理由で…。
判断力の無い子供が、ゴシップ記事を読んでもろくなことがないという例です。
「誇り高き男」のテーマ曲は、スリー・サンズで有名になりました。
 
「プロフェッショナル」という西部劇で、
バート・ランカスターとロバート・ライアンが、
共演していました。

この映画には、リー・マービン、ジャック・パランスと、
個性的な俳優が揃って、話としては面白かったのですが、
正統派西部劇の時代が終わったことを
知らされた映画でもありました。

 「墓石と決斗」「プロフェッショナル」は、同じ頃観たような気がしますが、
私自身が成人していたせいか、心に残るというほどではありません。
やはり子供時代に観た映画というのは、衝撃も大きく、思い入れも格別なのです。

 バート・ランカスターの西部劇映画は、数えるくらいしか観ていませんが、
「地上より永遠に」「バラの刺青」「空中ブランコ」などの現代劇より、
カッコいい西部劇での、ガンマンのイメージが強く残っています。
 あの、ニヤッと笑った不敵な表情、時々見せる優しい顔、
例のテンガロン・ハットをつまんで、右肩下がりの姿勢で歩き去る、
気取った仕草など、男の魅力に溢れています。



  想い出の西部劇・俳優については、このページだけでは書ききれないので、
いずれ改めて、この続きを書いてみたいと思っています。

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♪♪ 想い出の西部劇・音楽/1(J.ウェイン、G.フォード、G.クーパー、B.ランカスター)
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