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ウラハラ通信3

随分と時間が経ってしまいました。

その間にわたしは、
1週間全部合わせて10何時間眠ったかなというペースで
働いたり働いたり、飲んだりしていました。
そんな状況で「毎日が楽しい」なんて言うもんだから
「おいおい大丈夫か?」とあきれられたり心配されたりします。

たしかに自分でも、よく持ってるなあという気はしますが、
ダメな時は前もってカラダが教えてくれると信じているからこそ
無茶もできるのです。

風邪をひいたりお腹をこわしたり、ちょっとした怪我をするのは
カラダからのメッセージだと思っています。
そろそろ休めよ、いい加減にしろよ!というサイン。

> カラダの方が実は何倍も早いんだよね。
> 気づいていることが。
> だからこそ、それを意識化することにより、
> 気づきが単なる思い過ごしでなくなったり、
> 自分は今こういう状態なのかな、ってことを感じることができたり。
> それは自分への守りにつなげることもできると思う。

まさにこれですね。
初めての場所へ行って何となくイヤな感じがしたり、
後に良い関係を持てる人とは初対面でも「呼吸」が合うと感じたり。

まだ自覚していないことをそっと教えてくれる、カラダの声。
ココロを守りアタマを励ます、カラダの智恵。

自分のカラダに信頼を寄せたり、
カラダの智恵に敬意を払うようになったのは、
ダンスセラピー(&プロセスワーク)と出会ってからです。
それ以前も薄々気づいてはいたけれど、
どこかやっぱり頭デッカチなところがあった。

> カラダを使うようになって自分のコトバが変わってきた…
> っていうのはあった?

自分のコトバが変わってきたかどうかは、まだよくわかりません。
今のところ特に自覚はないのです。
けれども、明らかに変わったのは「動き」です。
「行い」と言ってもいいかもしれません。

たとえばこんなこと。

 決断が早くなった気がする。
 問題から身をかわしたり、逃げることが前より上手くなった。
 立ち止まることも動きの一つとして大事にするようになった。
 何かにとらわれて動きがとれない…なんてことがないみたい。
 自分の密やかな空間を、どこへでも連れていける。

要は、
日々の生活の中でカラダを動かす=行動することが楽になったのですね。

カラダと同じように、
仕事をする上でもコトバを発するのが楽になったり、
コトバがのびやかになったりすればいいのにと
今あらためて思うのでした。
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