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ウラハラ通信4

「カラダはコトバでだませない」


瑞穂さん

ずいぶん時間が経ちました。

すっかり秋ですね。
街を歩いていても、窓を開けても
キンモクセイのいい匂いが流れてきます。
夕暮れも早くなりました。
いろいろなことをじっくり考えるにはいい季節ですね。

さて。
合宿が終わったあと、
精神的にほっとした気持が強かったせいか、
夏はぐったりしていました。
(しかし今年の8月はほんとに変な気候だったね。
夏と言っていいのかどうか…)
身体の不調もいろいろと出てきて
自分の状態にきちんと目を向けなければいけないことが
多いです。

自分自身の健康に留意して、
適切なケアをしていくこと。
こんなごく当たり前のことができていなかったのよね。

それはもしかしたら、世の中の多くの人もそうかもしれません。

いつでも目の前の仕事優先。

何でもこなせなければ駄目。

食べ物に気をつけて、
サプリメントも摂って、
けれどもワーカホリックなひと。

身体化して不調が出てきても
自分が病気になるはずがないし、
気持がたるんでいるからだ、と思うひと。

意識の上で、
自分自身が大丈夫と思っていても、
カラダはやっぱり正直です。
身体化することはまさに自分の無意識の訴えだよね。

しかし援助者というのは因果なもので、
ひとのケアに関しては考えるより先に
カラダが動いてしまったりする。
一緒に具合が悪くなってしまうことだってある。
いきおい、自分のことが後回しにならざるを得ない。
そんな毎日を積み重ねていると…
自分のカラダで推して知るべし、なのであった

健康ということは
どこも悪いところがない、という状態ではなく
内と外とのエネルギーが適切に循環していることなのではないかと
つねづね思っていますが、
自分自身に不調があっても、
ひどい状態になる前に対処できるかどうか、
それとどのように共存していくか、
というのがその先の課題であると日々感じています。

ダンサーも体がボロボロになっちゃうひとが多かったけれど、
臨床でも当然の如くそうなのだ。いや、もっとひどいかも(笑)
これってつねづね不健康な話だよなあ、と思う。
医療機関の人間があまりにも健康すぎて
健康オタクみたいでも怖いけど。

セルフケア、というコトバをセッションでよく使うけれど、
究極のセルフケアは自分自身をありのままにうけいれることであり、
肯定すること、だよね。
そして自分に対し、
自分でできること、できないことを見極めて
できうる最善のことをすること。
と、この前思いました。

カラダはコトバでだませない。

どんな理念をもって
突き進んでいようと、
自分の健康が保てなければ
途中で倒れるしかないよね。
好きなことを仕事にできて幸せでしたが
辛さや疲れもちゃんと感じられるようになった今、
せっかくここまで生き延びてきたので、
身をもって取り組んでいます(笑)

さて、
最近読んだ本、読みかけの本は…
「からだことば」(立川昭二)
「ヴァギナ・モノローグ」(イブ・エンスラー)
「わたしのせいじゃないーせきにんについてー」
 (レイフ・クリスチャンソンー文 ディック・ステンベリー絵)
「トラウマの心理学」(小西聖子)
「ナチュラルハイ」(上野圭一)



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