■新潟県吉川町への旅
死は意味を奪い去って行くものではなくて意味を与えるものである。
M・スコット・ペック
知識の後を追ってはならないよ、知識があなたの後を追うようにしてあげなさい。
古いインデアンの伝え
バスは一時ごろ農協前の広場に着いた。三番目で最後の停車場だった。
田植えをするにはこの上ないいい天気であった。寒くもなく暑くもなく。涼しいといえるくらいであったけれども、春の暖かさは湿気を誘い、額には少し汗を滲ませるくらいであった。それでも、時はまだ自然にはっきりとした境界線を与えてはいなかった。
私達の回りの淡い緑もはっきりとした境界線を見せてはいなかった。
そらは青く高く澄み渡り、向こうには丘の頂上が見え、その向こうには山々が波打っていた。いくつかは鷲の爪あとのようにくっきりと雪の中に岩肌が現れていた。
子供たちは、バスから広場に走り出て行った。東京から6時間、彼らにとっては監獄みたいな物であったろう。太陽も遊びたくて待っていた。しかし、大人は眠そうな足取りで降り出て来て、やっと、手足を伸ばしながら、開放された喜びから微笑み合っていた。「明日の天気は晴れるかなー」、と子供たちの空に放り投げた草履の舞い落ちる格好に笑いかけていた。裏が出ると雨、表が出るとお日様が微笑む。望みを持った心の遊ぶ様ってなんて面白く、また、愛嬌に満ちたものなのだろうか。
この場所で私達は田植えの為の着替えをした。それぞれが泥の舞台で演じるための可愛い衣装に着替えを済ませた。女の人達は紫外線よけの深い帽子をかぶり、まるでシェイクスピアのドラマの中の魔女でも演じられそうな格好である。その中のに何人かは大の男にも理性を失わせるのに充分な魔力を発揮しそるである。
自分達の役を演じる準備もでき、再びバスに乗り込んだ。その日の田植え用の田んぼまで約5分の乗車だ。
道すがら、あちこちに既に植えられた田んぼがある。小さな苗は、まるで飢餓絶滅の使命を帯びた自然から使わされた平和維持軍の兵士でもあるかの様に、きちんと並んで立っている。そよ風がそれらの間を通り抜けて行くと、これらの小さな苗が水と戯れる音がいまにも聞こえてきそうである。
二・三回大きなカーブを曲がり、目的の地に着く。田んぼの脇の道でバスを降り、背の低い草の生えたあぜ道に降り立つと柔らかい土が足にとても心地がいい。あぜ道の隣には細い溝があり水が流れている。20才代のバスガイドと中年のバスの運転手を除いて、だいたい20人の大人とそれと同じ数の子供たちが、アリの様にぞろぞろとあぜ道を渡って行くのだ。
突然、一人が近くの大きな田んぼでゆっくりと風呂に浸かっていた、あの歴史に名高い、とても愛らしい小動物を発見した。それは植付けの済んだ苗の間を、水泳大会なら金メダルに匹敵するような優雅で先鋭な泳ぎを披露し始めた。
その偉大な泳者の登場に驚いた何人かの魔女たちが叫び声を揚げ始めた。足を踏み鳴らし、まるで世界が終わるかのような叫びである。
魔女からのいわれなき屈辱を受けた、この由緒ある生き物は、彼の平穏への侵入者達に襲い掛かろうとし始めた。これを知った魔女たちの間にはさらなる混乱が広がり、もっと足を踏み鳴らしだしたのだ。
この気高き精神の生き物がどんなに勇気あろうとも、この狂った魔女たちからは逃げ出した方が身の安全と思ったらしく、命からがら逃げ出すかのように泳ぎ去ろうとした。
まさにその瞬間に、どこからともなく、さっきのバスの運転手が現れ、まるで道端に落ちている棒でも拾うかのように、この生き物の首根っこをつかみ引き上げたのだ。そして、彼は突然いたずら好きな怪物に変身した。この生き物に腕は巻きつかれたまま、悲鳴を上げて逃げ惑うバスガイドの後を追い始めたのだった。
そうこうしている内に、我々の一人がそのバスの運転手のところに行って、蛇使いの極意を伝授してもらっているのだ。そして、彼は子供達のヒーローになった。子供たちは、口をぽカーンと開けたまま、輝くような目でこの生き物をまじまじと見つめているのだ。彼は彼の師匠がやっていた様に、腕にこの生き物を巻き付けて、賞賛者達の中央に立っていた。
この弟子は確かに師匠から蛇使いの極意の免許皆伝を受け取っていた。そして、また、師を超えていた。魔女や、また彼女らの共謀者をまえにして、彼らの子供たちを追いまわすような事はしなかった。そうしなかった事は賢明なことだった。子供たちは彼の回りに寄り集まり彼のペットをなで始めたのだ。最初はちょっとつついてみたりしながら、次第に勇気を出して掴み始め、終いにはいとおしそうに撫でていた。
驚いた事に、かの名高い名言、「子の心を得たらば、その親の心得るは安し」が証明される時が来た。この弟子の生徒とも呼べる様になった吾が子が、そのような情熱と熱心さでもってこの高貴な生き物と我を忘れて戯れるのを見て、魔女の何人かが改宗されるに至った。彼女らはその蛇に近づき、手を伸ばし始めた。一方、残りの魔女たちは改宗者のこの忌まわしい行いに対して、「ほら、危ないよ。近づかない方がいいよ」と自分達の教義の正当性を怒鳴りたてていた。田植えの手解きをしてくれる農家の人達のの何人かも「放してやれ、放してやれ。毒を持っているかもしれないぞ」と叫んでいた。
一体誰が新しく改宗した者達をそんなに簡単にもとの宗派に戻るように説得できようか。彼らのヒーローが元の場所に放してやるまで、親切にもこの高貴な生き物はかなりの間、揉まれ、掴まれ、叩かれ、撫でられていた。
今度は、蛇の方が怒りが収まらず、これらの侵入者達に襲い掛かろうとしたが、無駄に終わった。彼はまたこの勝ち誇った彼らのヒーローによって摘み上げられ、今度は近くを流れていた小さな川に投げ込まれた。
その後、お神酒が振舞われた。田の神の怒りを静めた。そして、大人の舌も少し滑らかになった。
この祝いの笑い声が先ほどまでの蛇との興奮を静めてくれた。そして、私達の心にしまってあった仕事への情熱を引き出してくれたのだ。頭はお神酒で少し回ってはいたが、みんな泥の舞台へ跳びこむ準備は出来た。
二三人の子供達はすでに先ほどとは違った生き物の後を追い始めている。今度の生き物は、小さな緑色の蛙だ。一人などは綺麗な緑の宝石でも愛でる様に、この小さな生き物を手に抱いている。
指導してくれる農夫が忙しく木製の道具を使って田植え用の線引きを行っている。表面に碁盤の目が綺麗に引かれて行く。もう一人の農夫は苗植えの実技を披露している。碁盤の目の線と線の出会いに若い苗を数本ずつ差し込んで行くのだ。
私達は、腰に苗の入った青いブラスチック製の籠をぶら下げ、あぜ道に一列に並んだ。二列づつが子供に与えられた植え幅で、大人には四列が与えられた。
そして、泥の中に足を差し入れた。柔らかい泥の感触が体の芯をくすぐる。日常コンクリートによって叩かれ整形され、柔軟性を失った足には、膝近くまでぬめり込む泥の感触は無味乾燥仕切ったこの足に命を与えてくれた。
そこに伝統的な田植え歌などが流れていたならばと思うだけでも楽しさが増す。この幼き苗にそのリズムとメロデイーのシャワーを掛けてあげたらどんなにか喜ぶ事か。それでもなお、首を出した幼き苗の列は、あそこここであっちに曲がりこっちに曲がりしながらも、とても優しさにに満ち私達に安らぎを与えてくれた。
仕事が終わった後、それぞれがなんと誇りに満ちていたことだろうか。みんなの顔から喜びがほとばしっていた。子供達からは、植える場所が少ないと文句さえ飛び出ていた。
みんな田んぼの脇の溝を流れている水に群がって来て、手や足についた泥を洗い流していた。何人かの子供はパンツ一つになってその水で遊んでいる。その流れは剥き出しの泥の臭いがした。なれない鼻にはむっとくる臭いであったけれど、重荷を下ろした心と身体には心地よいものであった。
そして、私達は山のふもとのにあるホテルへと細く曲がりくねった道をバスで登った。ホテルは山の少し開けたところに立っていた。以前は学校として使っていたということであった。だいたい十ぐらいの部屋があり、教室をモデルチェンジしたものだ。十人一緒に入れるくらいの大きなお風呂と、家族用の小さなお風呂がもう一つ備わっている。二階には体育館があり、良く手入れされていた。ホテルの隣には運動場が広がっていた。
以前学校であったこのホテルの話も日本の津々浦々の村々で起こっている出来事を物語っていた。若い者が町へと移り住み、年老いた者が死を迎えるまでそこを世話する。村で育っている一人や二人の子供だけでは学校は運営できない。彼らは遠くにある学校へバス通学を余儀なくされる。
ホテルにモデルチェンジしてでも存続できた事が幸いというべきなのだろう。近くにスカイダイビングに最適な場所があるということだった。そこを訪れるダイバー達に使用されているのだそうだ。
その日も、あちこちにパラグライダーが見えた。一つは舞い上がり、もう一つは目的なく漂い、もう一つは着陸地点への着陸を試み様としていた。もし定められた着陸地点以外の場所、例えば、田んぼや、私有地に着陸してしまったら、その所有者に二千円の罰金を払わなければならないということだった。
風呂に入り、泥と臭いを落とし、二階の体育館での農家の人達との親睦会が始まるのを待った。彼らからの生産提供を受けて長いのだ。農薬などの有害物をなるべく使わずに提供してもらえることはありがたい事だ。
そして、農家の人達が夫婦そろって来てくれた。この親睦の機会をを祝って短いスピーチがなされた。
天ぷらやその他もろもろの料理が盛り付けられたテーブルが五六すでに用意されている。子供の中には、いや、子供だけではなく大人でさえも、風呂で綺麗さっぱりした後で「空腹」ととても良い仲になっている者がいた。スピーチの間、テーブルの上に広がっている「禁断のりんご」と友好関係を結ばない訳にはゆかない羽目になっていた。まるで透明人間にでもなったかのように、彼らの罪深い手をそっと禁断のりんごの上に伸ばし始めたのだ。
そして、かんぱーい。みんな料理の海に飛び込んだ。徐々に酒が己の道をそれを愛でる者の五臓六部に知らしめ始める。縛られていた舌を解き、集まった者の心の隙間を埋めて行く。その神聖な醗酵の秘密を分ち合おうと、歌に、踊りに、取りとめない話の中へと、生きている事を喜べる者なら誰にでも入り込んで行くのだ。
新潟県吉川町は杜氏の里と呼ばれている。名高い酒と美味しい水を産出してきているところである。厳しい冬と美味しい水が多くの杜氏を鍛えてきたのだそうだ。急速に廃れて行く伝統的技や、コンピューター制御の酒作りの世界にあって彼らは宝石の様に光っている。深みを探した、また、探し続けた手と心が敗北と勝利を味わい、その汗が作り上げた輝きでもあるのだ。
祖父が良く言っていた。米一粒でさえも、風の歌、雨の歌、そして、それを植えた農夫の手を覚えているものだと。
干ばつの時は、田は干しあがりありとあらゆる方向に亀裂が走る。太陽と渇きが圧倒する、時々、最後の力が折れ、稲が死に絶える。嵐や洪水の折には、稲は穂の近くまで浸かり泳がなければならない。嵐の後は、疲れ果てて寝転がった稲の傍で、農夫のうめきが聞こえてくるものだ。
しかし、秋に風で波打つ金色の海の稲のうねりを見たならば、自然に対するどのようなわだかまりも忘れる気になるだろう。ただ、ただ、そこに立って眺めていさえすればいい。これで充分だ。急いだり無駄に待ったりしなくてもいい。心が新しい命を孕むのだ。
これら全ての自然の営みが、その命を分かち合うべく己の道を作り米粒一つにも達するのだ。そして、そこに根気強く留まり、そこでその命を醸し、歌や、ダンスや人々の心の中で花を咲かせるのだ。
子供達が走り回り始めた。スケートボードに乗ったり、体育館の天井からぶら下がっているロープを使ってブランコ遊びをしたりしている。
笑い声があちこちのテーブルから起こり、岸辺に打ち寄せる波の様に揺らめいている。心地よく小さくなったり、突然爆発したりしている。
パーテイは、ゆらりゆらりと楽しく夜遅くまで続いて行く。夜は確かにそれに囚われた者達に対して決定的な支配力を持っている。それが私達をベッドに誘い、子守唄を歌ってくれる時、誰一人としてその巧妙さに文句を言う者はいない。しかし、渋々とベッドに送り込むようなことにでもなると、みんな反旗を翻し、その残酷な扱いにののしりの言葉を浴びせるものだ。この夜は、とても慈悲深かった。長かった一日の最後に多くの者を優しくベッドに導き、子守唄を歌ってくれた。
しかし、若い人達は違っていた。彼らは夜の異なった一章を開く方法を知っていた。十九歳の若き乙女の瞳はその時刻にもまだ輝きを失ってはいなかった。彼女はいたずらっぽく外に散歩に出たいが、一緒にいかがとと僕を誘った。
空には星、地には柔らかなそよ風、大地は異なったページを開いていた。遠くに見えるほのかなネオンの光の上に、細い新月が黄色にぶら下っている。北斗七星が少し傾き、その柄杓で夜の秘密を注ぎかけているかの様に私達の頭上に広がっていた。連なった丘の影、遠くには切り立った山々の背がこちらで隆起し、あちらでなだらかに落ちしながら美しいレリーフを作っていた。
田んぼの間を縫っている暗がりの中微かに見える細い砂利道に入って行った。。自動車が一台通るかなと思われるくらいの道だ。所々で少し曲がり、上った後、まったくの暗がりの中へと消えていた。そして、また、頂上付近で幽霊のような黒い木の塊の間で現れ、灰色の空へと消え去っていた。
その道の脇の芽吹いたばかりの青葉で覆われた草の絨毯の上に座り、月を見ながら座っていた。「何もかも全部持っているというのに、なぜこんなに虚ろで、無能に感じてしまうのだろう。大学を卒業して、どうしたらいいんだろうか、何が出来るんだろうか。」と彼女が溜め息をつく。しかし、この穏やかな夜は彼女の心の奥の迷路を深くさ迷えるように優しく誘ってくれた。そして、彼女の溜め息はこの慈悲深い夜の静寂へと吸い込まれて行った。
受容力に富んだ心に活力と感動の振動を起こさせるもの、それは物語であろう。物語りは空に輝く星や月、丘や山々を人の心の深みに誘い込む事が出来るからだ。そして、この柔らかいそよ風がそれらにほのかな香りをつけてくれる。
そして、昔語りが言ったようにやはり物語りは力があった、「むかし語ってきかせえ!……さることのありしかなかりしか知らねども、あったとして聞かねばならぬぞよ……」
僕の祖父は、明治生まれで、活字は一切読めなかった。頑固さには筋金が通っていた。夏の夜、小さな庭に団扇片手に一人バンコ(椅子)に座り、天の川で瞬き流れる満天の星を我を忘れて見入っていた。そして、時々、まるでなにかとても大事な仕事を思い出したかのように団扇で扇いでいた。そして、また、空の彼方へと消えて行った。その折の彼の沈黙が回りに波紋を起こす事は決してなかった。
その時祖父が何を見、何が彼を突き抜けて行っていたのか僕には決して解からなかった。しかし、命によって呼び出されたあの小さな生命の塊が、頭脳には書かれた文字を一文字たりとも有せず、あのように我を忘れて座っている姿は、後に思い出す度に畏敬の念にかられたものだった。
時々、横に来て掛ける様に誘われたが、言葉が交わされることはほとんどなかった。祖父はいつものようにそこに座っていて、星を見上げながら僕はその横にちょこんと座っていた。祖父が何を言ったかも余り覚えてはいないが、辺りの夜の静けさ以上の生き生きとした沈黙が、悠々とそこに掛けているさまは僕の脳裏に焼き付いている。
こんな夜に、青白い光の玉がぼーと丘の陰によく見えた。村人が「火の玉」と呼んでいたものだ。ある時は野球のボールぐらいの大きさで、また、他の夜など、満月の月ぐらいの大きなの時もあった。どこからともなく近くの丘の頂上辺りによく現れた。しばらくの間ゆらゆらと揺れながら動き回り、そして、消え去った。
最初それを見たとき、恐ろしくてその場に釘付けになった。その玉は自分の命を持っているみたいだった。長い間見つづけたならば、虫が光に吸い寄せられるかのように、その光の力に吸い寄せられそうだった。何かとてつもなく大切なものを自分の中から奪い取られそうな感じがあった。
誰一人として、それが一体何なのか、何で出来ているのか説明してくれるものはいなかった。しかし、心の奥底ではそれが一体何なのか解かっていたような気もする。祖父に聞こうとも決して思わなかった。祖父もそれが何なのか知っているし、なぜそこに現れるのか解かっていると確信できたからだ。
もう一つの玉は、白味がかった黄色いものだった。村人達は「ひとだま人魂」と呼んでいた。野球の球よりも少し大きく、彗星のように尾を引きながら飛んでいた。それは、自分の意志を持ってでもいるかのように真っ直ぐに目的の方向に動いていた。
もしそれが家の中に入るようなことがあったら、その家族には死人が出ると村人達は言っていた。僕もそれをその頃二度ほど見たことがあった。ある家の屋根の回りを二三回回ったかと思ったら、物質には何の抵抗も示さず、すっとその屋根に入っていった。そして、その家族には死が訪れた。
夜はじっと動かず、その闇も保たれていた。彼女はずっと聞き入っていた。その時、ぼくがその闇をつんざくかのように「きえーーーー」と叫んだ。彼女の驚いた様を言葉には出来ない。おそらくその瞬間彼女の心には一片の不確かさも残ってはいなかったろう。その尾を引いた人魂が彼女の心に飛び込んだとき彼女の存在の奥底で剥き出しの恐怖が突然開放されたのだ。
彼女が元に戻った時、お互い笑いこけた。涙から笑いへ。そして、笑いから涙へ。私達の中で何かが回りながら動いていく。残っていくものは、怒りや悲しみを秘めた涙の輪郭だけであり、山々や丘、月や星と共に興じる笑いの響きだけである。
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